「明日へのバネ」
〜生きる術を学ぶストリートチルドレンたち〜
<ルワンダ>
首都キガリのもっとも貧しく、人口の多い地域。わだちのできた道路の先では、ドラムの音が響き渡り、歌声がこだましています。今日は土曜日。ストリートチルドレンのための施設「トゥバクンデ」では、教育研修を修了した元ストリートチルドレンたちに「修了書」が渡されています。
モワーズ(17歳)は、絵描きとしての修了書を受け取った若者のひとりです。15歳までは道端で物乞いをしていました。8歳のときに学校を中途退学しました。大量虐殺が起きた年(1994年)に両親は死に、以来、彼は毎日の食糧を手に入れるために必死になって生きてきたのでした。
「そうこうするうちにエピーに会って、トゥバクンデに連れてきてもらったんだ。そして絵を習い始めた。すでにレストランの壁を塗った経験もあるし、絵画も2つ売ることができた。この修了書があれば、もっと仕事が見つかる可能性があると思うんだ」と彼は言います。
トゥバクンデの職業訓練を受けたそのほかの若者と同じように、モワーズは施設が運営しているキオスク(小さなお店)の窓口にあるフレスコ画も描きました。このキオスクでの食品の売上げは、施設の運営費にあてられます。
エピ・カナムギレはこのストリートチルドレンの施設を、ユニセフとセーブ・ザ・チルドレンの支援のもと、1998年に設立しました。
「私たちの施設では3つの目標を設定しています」エピーは説明します。「幼いストリートチルドレンたちを小学校に通わせること。年長の子には仕事を学ぶチャンスを与えること。そして、コミュニティ全体に子どもの権利についての意識を植え付けることです」この施設では、地域の当局者や親たちを巻き込んでセミナーを開き、おとなたちがストリートチルドレンを支援できるようにしています。エピーはこのほかにも、ユニセフの支援のもと、4つのスクール・センターと密接な協力をしています。「プロジェクトが開始されて以来、すでに115人を学校に行かせることができました。その子どもたちの半分がクラスのベスト10に入っているんですよ」エピーは自慢気に大きな笑顔を作ってみせます。
若者たちに渡される修了書は、教育省によって承認されたものです。ユニセフは、トゥバクンデの修了書が教育省によって認定されるよう尽力しました。
アントワネット(18歳)は、トゥバクンデがあるビリョゴから歩いて40分のところに住んでいます。昨年、母親がエイズで亡くなってからずっと、4歳から16歳までの5人の弟妹の面倒を見てきています。この子たちの父親はみんな違います。大虐殺を生き抜いた父親のうち2人は子どもたちに連絡さえよこしてきません。トゥバクンデに入る前、アントワネットは、弟妹と一緒に道端で物乞いをしたりして、やっとのことで1日1食の食事を手に入れていました。彼女はまた月に1,000ルワンダ・フラン<RF>(約2.2米ドル=約264円)で、小さな家の2間しかない内の1間を貸し出しています。「学費が払えないので、妹たちは学校から追い出されました。おなかが空いていました。でも、ほかにも同じような境遇の子どもたちが路上で暮らしていて、お金を手に入れるのは難しかったんです」アントワネットは言います。5人の弟妹で1枚の毛布を使って寝ている状態です。レギ(4歳)は、まだお母さんが戻ってくるものだと信じています。「レギにはお母さんがギタラマ(近くの州)に行ったと言ってあるの。まさか死んだなんて言えないわ」
家が雨漏りするようになり、彼女はトゥバクンデに行きました。エピーは、大工仕事の訓練を受けている若者たちに、屋根を直してもらいました。アントワネットは、食品加工の研修を受けることになりました。修了書をもらった彼女は、現在、トゥバクンデの仲介でレストランで見習いをしています。また、ほかの仕事でもお金を稼いでいます。「行事があるときに駆り出されて仕事しています。おかげで弟や妹に服を買うことができました」
アントワネットの妹、クロディーン(9歳)は、トゥバクンデの助力で小学校に通えるようになりました。ユニセフの支援によって、トゥバクンデは学費と教材費、それに子どもたち自身が作る食事の費用を出せるようになったのです。ヘルスセンターとの密接な協力によって、トゥバクンデは病気の子どもも支援しています。学校への就学のための研修や準備を終えたならば、トゥバクンデは1年にわたって子どもたちの生活状況を追い、必要な場合は支援の手を差し伸べるのです。
モワーゼやアントワネット、そしてその家族たちにとって、トゥバクンデは人生の中で、新しい道を指し示してくれる場所となっています。財源が足りないため、トゥバクンデでは一度に100人以上の子どもの面倒を見ることはできません。でも、キガリには3,000人以上のストリートチルドレンがいると言われています。「トゥバクンデの噂を聞きつけて毎週100人以上の子どもがやってきます。でも、残念ながら、資金がないので、これ以上子どもを受け入れることはできませんし、街のほかのセンターでも受け入れてもらえません」エピーは説明します。身体的障害のある子どもや特別なニーズを必要としている子どもたち向けの支援制度が、確立されていないのです。
まだ、支援を受けられていない子どもたち…
パピア(12歳)、ジャック(15歳)、ニイテガ(16歳)は、キガリの路上で1年ほど前に知り合い、仲良くなりました。3人とも、物乞いをして生きています。 パピアは街の外れで、どうにか自力で生きています。6歳のときに沸騰している湯の中に落ちました。人々は彼の顔を見てぎょっとします。というのも、彼の顔の半分と手の一方がケロイドになっているからです。「両親は遠くにいるんだ」パピアは詳しくは話したくないようです。彼の家賃は2500RF(5.4米ドル=約648円)。「物乞いして1日500RF(約1.08米ドル=約130円)稼ぎます。1日2食分を物乞いで稼いでいるんだ。でも、今は歯が痛いんで、お金を貯めている。痛くないのは寝ているときだけ。歯医者に行きたいんだけれど、10,000RF(約2.18米ドル=約262円)もするからね…」
ジャックは7歳のときに片足を失いました。虐殺事件のときに失ったのです。松葉杖を使って歩いていますが、あまり遠くには行けません。物乞いで得られるお金の中から、1日200RF(約40セント=約48円)を貯め始めました。「600RF(13.5米ドル=1620円)貯めたらヤギを買うんだ。ヤギの赤ちゃんを産ませて、市場で売るんだ。ヤギなら乳も出るしね」
ニイテガの右腕と背中はポリオのせいで自由がききません。ニイテガは養鶏場を開く夢を見ています。「鶏10羽を買うお金があったら、食べるにも、市場で売る卵にも事欠かないよ。そのお金で、部屋を借りて路上で生活する必要はなくなるし」それまでの間、彼はときどき、パピアの部屋で寝ることになりそうです。
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