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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

あらゆる権利 奪い取った紛争
<シエラレオネ>

1999年1月、シエラレオネの反政府勢力「革命統一戦線(RUF)」がフリータウン郊外のウェリントンを攻撃した時、メムナはたった2歳でした。一緒に住んでいたおばあさんは殺され、おばさんはけがをし、メムナは右手をひじから失ってしまいました。それから3日間は軍隊がまだ町に残っていたため、病院へ行って手当てを受けることさえできなかったのです。

メムナは、シエラレオネの内戦によって命を失ったり身体に障害を負ったりした何千人もの子どもたちの一人にすぎません。推定5千人の子どもたちが兵士として駆り出され、1万人以上の子どもたちが誘拐されたり攻撃から逃れようとして親と離ればなれになりました。

1月のフリータウン攻撃では、3867人の子どもたちが行方不明になり、その58%は女の子だったと推定されています。また、誘拐された後戻ってきた子どもたちの75%は性的に虐待されており、2%は妊娠していたといいます。

紛争は子どものあらゆる権利を奪い取ってしまいます。ユニセフが発表した「国々の前進1999」によると、シエラレオネは子どもの死亡率が最も高い国のひとつであり、約3割の子どもは5歳の誕生日を迎える前に亡くなってしまいます。また、6歳から14歳の子どもたちの55%は学校へ行くことができず、将来自立し、充実した生活を送るチャンスを奪われているのです。紛争下の子どもたちの権利を守るため、ユニセフは政府や他のNGOと協力して紛争時に緊急援助を行ったり、紛争終了後も子どもたちが元の生活へ戻るための支援を行っています。

7月7日、トーゴの首都ロメにおいてシエラレオネのカバ大統領とRUFが和平協定に調印した時、メムナはその証人として大統領に同行しました。カバ大統領は後に「この和平協定をメムナとシエラレオネのすべての子どもたちにささげたい」と語っています。

シエラレオネが和平協定や「子どもの権利条約」などの国際条約を守っていくかどうか世界中が注目しています。そしてだれよりも、メムナやシエラレオネのすべての子どもたちが見つめているのです。

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