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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

スリランカ:10万人以上が避難 数千人以上がまだ紛争地域に


【2009年4月24日 スリランカ発】

© UNICEF Sri Lanka/2009

紛争が始まる以前は、スリランカの11歳の子どもたちの多くは、ほとんど毎朝、学校に行くと席に着いて授業の開始を待っていました。 周辺地域の中でも教育分野においてはリーダーシップをとっていると自負するこの国では、学校のお昼休みを知らせるベルが鳴るまで、汚れひとつない制服を着た子どもたちが、授業に真剣に耳を傾けます。この古いベルの音がうるさく思えるほど、どこの学校でも皆熱心です。

しかしながら、数週間前、スリランカ政府と「タミール・イーラム解放の虎」(LTTE)との武力紛争が続くスリランカ北部で、ニベースガちゃん(11歳)は、浅い塹壕の中で朝を過ごさなければなりませんでした。爆撃のとどろきは、子どもたちに耐え難い恐怖を与えます。

ニベースガちゃんのこうした生活は数ヵ月に及んでいます。家からの避難を何度もくり返し、守られるべき大切な子ども時代を失いました。また、学校が燃料貯蔵庫として使用されているため学校に通うことができません。近所の人々の死も目撃しました。

あらゆる場所で起きている紛争

「どこへ行っても紛争ばかりです」と、ニベースガちゃん。「いつも赤ちゃんの泣き声や人々が逃げる音が聞こえます。血を流して怪我をしている人たちもいますし、もうすでに亡くなっている人もいました。」

二ベースガちゃんは、母親と、祖母、7歳の弟と一緒に、避難場所の塹壕に身を寄せました。砲撃がこの臨時の避難場所に近づいて来るにつれて、ニベースガちゃんの周りにいた人々は、爆弾が落ちる前に走って逃げた方がいいと判断をしていました。新たに爆弾が落ちてきた時、ニーベスガちゃんの母親は他の人々と同様に、避難所を出る決心をしました。

「私たちは、起き上がって走り出しました。でも、弟は、爆弾の破片が足に当たってしまったんです。母は、弟を救い上げて、助けを求めて行ってしまいました。これが、母と弟を見た最後です。」

爆撃が弱まると、ニベースガちゃんと祖母は紛争地域から逃れ、政府が統率している地域に避難することができました。そして、そこから2日間かけて政府が用意したバブーニヤ避難所に移りました。

取り残される子どもたち
© UNICEF/SL/2008

過去数ヵ月の間に、この紛争の影響で、何百人もの子どもたちが命を落としました。今週、政府軍は、「タミール・イーラム解放の虎」(LTTE)を彼らによって占領されている最後の地域へ追い込んでいます。

この数ヵ月間想像を絶する爆撃を体験してきた子どもたちは、現在、厳しい紛争の最後の激戦の中にいます。多くの子どもたちを含む数万人の市民が、いまだ紛争地の中で身動きがとれずにいます。そして集中砲撃を受けるなどの悲惨な状況の中で何とか生き延びているのです。

激しい戦闘の最中、過去5日間で約10万人が北部の紛争地域から政府が統率している地域に避難しました。避難キャンプの人々の数は、来週には2倍以上に増加するものと予想されています。これに対応するための緊急のニーズは、すでに込み合っている避難キャンプと国連の緊急支援活動に大きな負担を強いると考えられます。

ユニセフは、こうした人々の流出によって増加したニーズに対応するため、水と衛生、保健、栄養、教育、子どもの保護における支援活動を拡大しています。

緊急支援

ユニセフは、栄養不良の子どもたちとその母親への栄養面での支援および、子どもたちとその家族のための衛生キット、緊急保健キット、飲料水、トイレ、お風呂用の施設、臨時学習施設、子どもたちの教育キットなどを支援しています。

また、妊産婦と子どもたちの保健ニーズに対応するための病院も支援し、暴力の影響を受けた子どもたちへの心理的なケアも行っています。

ニベースガちゃんやその他の子どもたちのように、家族と離れ離れになった子どもたちが家族と再会できるように、ユニセフは最優先課題のひとつとして活動を続けてます。しかしながら、ニーベスガちゃんの母親と負傷した弟の情報はまだなく、ニーベスガちゃんに嬉しい知らせはまだ届いていません。

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