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<2004年6月28日掲載> 難民キャンプでも学校に行けるよ!
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ここはアフリカ、チャド東部にあるコウノウンゴ難民キャンプ。ほこりのまい上がる道を車でやってくると、黄褐色のキャンプの中で学校の白い壁が輝いています。スーダンから流れ込んだ8,200人以上もの難民が、見渡す限り砂や岩に覆われ、とげだらけのヤブが散在するだけの、砂漠のような光景の中で暮らしています。一時的に作られた教室は簡単な木造りで、壁と屋根はプラスティック製のシートでできています。授業は4週間前に始まったばかりですが、ユニセフから支給されたノートと鉛筆と定規を持った子どもたちが、むき出しの土床いっぱいに座っています。乾季の気温は一番暑いときで43度にもなりますが、誰も不満は言いません。
子どもたちは家を追われてから何カ月もの間勉強する機会がなく、お金を稼がなくてはならなかったので、学校に戻れて本当にうれしそうです。チャドには、スーダンのダルフール地域の紛争を逃れてきた11万人の難民がいて、その3分の2が子どもと女性です。
11歳の女の子、マッカ・アッダム・ダウトは小学校にいくのはとても大事だと考えています。「私のお母さんは学校に行かなかったわ。お母さんは家畜の世話をしていたの。今こんな恐ろしい状態になって、家畜もいなくなってしまって、お母さんには何も残っていない。もし学校にいっていたら、知識が残っていたのではないかしら。だから私は学校に行って読み書きを習いたいの」マッカは先生になりたいと思っています。スーダンの村では彼女は3年生でした。しかし、学校に再び通えるようになった彼女は、ふと悲しい顔をしてしまいます。3人のきょうだいがスーダンに残っているのです。「昔は一緒に学校に行っていました。でも今はどうしているのか分かりません」
シェクウデン・アダム・イバラヒムちゃんは10歳です。「10日前から学校に通いはじめました。学校にもう一度通えるようになってとてもうれしいです。学年は2年生です。私の村、ベンサリバでも学校に行っていました。ここはとても楽しいけれど、いつも頭が痛いの。村から走って逃げる時の恐怖のせいだと思います。夜はよく眠れるんだけど、ずっと頭が痛いんです。ジャンジャウイード(※)が村を襲撃してきたので逃げなければならなかったんです。家や店が焼かれました。私の家が焼かれるのも見ました。お母さんと4人のきょうだいと一緒に茂みの中に逃げ込みました。お父さんはベンサリバにとどまりました。学校の授業は面白いし、将来は先生になりたいと思います」
※ ジャンジャウイード: チャドとスーダンの国境沿いを支配しているアラブ系民兵組織
コウノウンゴでは7つのクラスに1,730人の子どもたちがいます。他の2つのキャンプでも授業が始まっています。難民キャンプのマネージメントを行っているNGOは、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)の支援のもと、6月の雨季がくる前に学校を作ろうと一生懸命に活動をつづけています。学校の開設にあたってユニセフは4,800人の子どもたちに学用品を配り、国境沿いに難民自身が建てた3つの学校を支援しています。先生は難民の中から採用されて、ユニセフの支援のもと、教育方法のトレーニングを受けています。
マッカやシェクウデンのような難民の子どもたちのために、すべての難民キャンプで勉強の機会を提供することが急務です。また、学用品や教科書を配布することも同様に重要です。