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財団法人日本ユニセフ協会

国際協力人材養成プログラム

海外インターン体験記

「虹の国」を目指して

氏名:船橋 浩一
派遣先:南アフリカ・プレトリア事務所(Health&Nutrition Section)
派遣期間:2007年9月〜11月

アパルトヘイト終結から十数年、民族間の融和を進めて新しい国づくりを始めた南アフリカをHIV/AIDSという新たな困難が襲っている。南アフリカの妊婦健診受診者におけるHIV感染率は約30%。何も対策をしなければHIV感染者の母親から生まれてくる子どもの約3分の1は母親からのHIV感染を受けてしまう。HIV/AIDSがこの国の子どもたちに与えている影響は余りに大き過ぎる。5才未満で死亡する子どもの死因の40%はAIDSであり、乳児死亡率(1才未満で死亡する確率)は1990年の1.5倍以上に急上昇している。母親からのHIV感染を免れたとしても、親がAIDSで亡くなってしまえば、孤児としての厳しい生活に直面する事になる。もちろんHIV/AIDSの影響は子どもだけに限られたものではなく、この国の社会・経済・人々の生活に大きな影を落としている。 私のインターンでの主な業務は、南アフリカのHIV母子感染予防(PMTCT)指針に対応するモニタリングと評価の指針を作成することであった。グローバルな指針に示されている「理想」とこの国の「実情」との解離に悩みながら少しでも実用的な指針を作成する事を目指した。

アフリカで最大の経済力を持ち、比較的インフラの充実した南アフリカでは、個別プロジェクトの実施から政府に対するアドバイザリー業務へとユニセフに期待される役割がシフトしてきている。変化する環境の中で柔軟かつ戦略的に自らの機能を変化させていくユニセフスタッフと共に仕事をする事が出来たのは私にとって大きな収穫であった。 南アフリカは多くの民族が融和した“Rainbow Nation”となる事を目指している。人々の生活に大きな影を落とすHIV/AIDSという暗雲が晴れ、この国がアフリカの赤い大地の上に大きく光り輝く虹の国となる事を願う。

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「次世代へ希望をつなぐ」

氏名:玉村 文平
派遣先:インド・ムンバイ地域事務所(HIV/AIDS)
派遣期間:2007年7月〜8月

「学校に行きたくないんだ。」HIV/AIDS治療を行うムンバイ市内の病院で出会った少年が話してくれた言葉です。10歳にも満たない彼は学校に行く代わりに、ボランティアとして病院内で医師・カウンセラーたちの補佐業務を行っていました。彼もCLWHA (Children living with HIV/AIDS) の一人です。

インドではNACO(インド国家エイズ管理機構)主導の元、過去十年以上 HIV/AIDS対策を推進して来ました。2007年7月、NACP(国家エイズ管理プログラム第三期)が発足し、UNICEFは政府、NGO等とより緊密なパートナーシップを結び、特に子ども・若い女性たちへのHIV感染防止対策強化に乗り出しました。

マハラシュトラ州ムンバイに位置するUNICEF地域事務所も例外ではなく、HIV母子感染防止や青少年たちへのHIV/AIDS教育を中心に啓蒙活動を全国展開しています。インドも含め、世界的にHIV感染防止対策に重点が置かれる中で、今回のインターンでは敢えて「子どものHIV/AIDS治療」に焦点を絞り、実際にHIV/AIDS治療を受ける子どもたちが抱える問題点を探ることを目的としました。

NACPの元ではHIV/AIDS治療薬は無償で提供されます。無料で治療を受けられる利点がある中で、数々の問題点も存在します。それは、HIV治療の難しさそのものよりも、HIVに暴露しやすい社会的に弱い立場にいる子どもたち、女性たちが抱える問題でした。経済的貧困、男女格差、教育格差、情報格差、そしてここ数十年の急激な経済発展がHIV/AIDS問題に深く関与し、HIV/AIDS蔓延を助長すると同時に、HIV/AIDS問題それ自体がさらに貧困・種々の問題を拡大する要因と考えられています。

子どもたち (CLWHA) にインタビューをする中で、AIDSで両親を亡くした子どもたち、家族を支えるために学校を辞めて働かざるを得ない子どもたちなど、胸が痛くなるような話を何度も聞かされました。彼らのクオリティーオブライフを向上させるHIV治療(+感染症防止対策)を行うと同時に、一刻も早く精神的ケア・保護を充実させる事が今後の課題です。HIV/AIDSに対する差別・偏見が根強く残る社会では、病院で出会った少年のような、厳しい現実と向き合う子どもたちが大勢いるのです。

二ヶ月間、毎日のように自分の頭を悩ませたHIV/AIDS問題。色々な目線で、UNICEF、政府、病院のスタッフ、そして子どもたちの目線でHIV/AIDSを捉える事で見えて来た事があります。HIV/AIDS問題を終結させるためには、 HIV/AIDSに対する一人一人の意識改革も重要ですが、社会・コミュニティ全体の意識が変わる必要があるということです。そのためには、政府、 NGO、UNICEF等が個々に動くのではなく、全てが「一つのチーム」として機能する必要があると感じました。「誰のために動くのか?」ここでは、プライオリティは「大人」ではなく、「子ども」なのです。

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バングラデシュの都市部の子どもたちのために

氏名:内川 明佳
派遣先:バングラデシュ事務所(Education Section)
派遣期間:2007年5月〜8月

バングラデシュでは、790万人の子どもたちが、そのうち150万人が都市部で労働に従事していると言われています。私が、この夏派遣されたユニセフバングラデシュ事務所の教育セクションは、そのような都市部で働く10歳から14歳までの子どもたちに、「Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children」と呼ばれるノンフォーマル教育の機会を提供しています。

私が行った主な仕事は、1)同プロジェクトに関する資料の整理と、2)現場視察です。1997年に始まった同プロジェクトの企画書、報告書、評価に関するレポート、写真などに加え、子どもの労働と教育に係る資料を集め、ワンセット5つのCD「リソース・パッケージ」を作成しました。資料収集の過程では、同プロジェクトのスタッフから多くのアドバイスを得、パッケージがスタッフにより使いやすいものとなることを心掛けました。

現場視察では、同プロジェクトが運営するラーニングセンターを訪れました。週6日、1日2時間半、25人の子どもたちがひとつの教室で、ベンガル語、英語、算数などを学んでいます。子どもたちは、授業を終えると仕事へ戻ります。女の子の多くは、家事手伝いとして、男の子は、車の修理工、仕立て屋、市場などで、夜遅くまで、ときには深夜12時まで働きます。幼い弟妹を腕に抱えながら、またときに疲労の残る表情を見せながらも、一所懸命にセンターに通う姿を見て、彼らの「学校」で学ぶということ対する誇りを強く感じました。バングラデシュ政府とユニセフは、2009年までに20万人の子どもたちを対象とした8,000のラーニングセンターを開校する予定です。  

私をあたたかく支えてくださった日本ユニセフ協会、ユニセフバングラデシュ事務所の皆さん、そして今日も働き、ラーニングセンターで学んでいるだろう子どもたちに心から感謝しています。

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