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財団法人日本ユニセフ協会

ライブラリー プレスリリース

バグダッド国連本部ビル爆破事件から1年
イラクの子どもたちへの支援の決意を新たに

アンマン/ジュネーブ/ニューヨーク
2004年8月18日

 ユニセフ(国連児童基金)職員1名を含む国連職員の命が失われた悲劇的なバグダッドの国連本部ビル爆破事件から1年。ユニセフはイラクでの人道的支援活動を今後も続けてゆく強い意志を改めて表明しました。

 ユニセフ職員のクリストファー・クライン・ビークマン氏(当時31歳)は、バグダッドの国連主要施設を吹き飛ばした爆風に巻き込まれて死亡しました。カナダ人のクライン・ビークマン氏、事件当時ユニセフの現地代表代行を務めていました。

 「クリスのエネルギーと意欲、そしてイラクの子どもたちへのコミットメントを私たちは決して忘れないでしょう」ユニセフ事務局長キャロル・ベラミーは述べました。「この悲劇的な事件の後にも数々の困難な出来事が起こっていますが、ユニセフはそれで挫けるどころか、イラクの子どもたちのニーズに応えようという我々の決意をより一層強くしています。」

 イラクの人口のほぼ半数は18歳未満で、紛争が始まる前でさえ、多くの子どもたちが病気や栄養不良、様々な形態の搾取・虐待にさらされていました。また、イラクは、世界でも最も子どもの死亡率が高く、8人に1人の子どもが5歳の誕生日を迎える前に命を失っていました。

 現在の治安状況は、イラクの子どもたちにとって、そんな「既に困難であった状況」を、さらに悪化させています。紛争が始まって以来、何百人という子どもが命を奪われ、何千人もの子どもが負傷しました。学校は時として閉校になり、多くの親たちが、通学途中での襲撃や誘拐を恐れて子どもたちを学校へ行かせずに家に引き留めています。

 しかし、一方では、暴力や誘拐の恐れがあるにも関わらず、家族や兄弟に付き添われて学校に通う子どもも大勢いるのも事実です。また、ファルージャでは、学校が爆撃を受けたとき、子どもが別の学校で試験を受けることができるよう迅速な対応がとられました。

 しかし、「暴力」は、イラク全土で既に「日常」の一部になってしまっています。2003年4月には、ファルージャとバスラの戦闘で、100人以上の子どもたちが殺害されたと報じられています。中には通学途中だった子もいました。また、カラフルで変わった模様の地雷や不発弾に興味をそそられ、命を落としたり、手足を失っている子もいます。
 「イラクの子どもたちは十分過ぎるほどの苦しみを味わっています」ベラミー事務局長は訴えます。「3度の戦争と12年にわたる経済制裁を経験し、これ以上ないほど困難な状況で、そして、往々にして暴力に怯えながら生きているのです。」

 治安上大きな制約がある中、ユニセフの現地スタッフはイラクの子どもたちのニーズに応えるべく、懸命に活動を続けています。イラク政府当局とともに、ユニセフは何千人もの子どもたちへの予防接種や小学校への学用品の供給、水道・下水設備の補修、給水車による飲料水の輸送、子どもたちのためのコミュニティ・レクリエーションセンターへの必要資材の提供等を実施しています。また、不発弾の危険を知らせるため、ファルージャの住民に、地雷・不発弾の危険性を訴えるリーフレットを配布しました。

 ユニセフが実施するイラク支援事業への主要な支援国・組織には、日本、米国国際開発庁(USAID)、ヨーロッパ連合、イギリス、カナダ、オーストラリア、スペイン、ノルウェーなどがあります。

 ユニセフは1952年以来イラクの子どもや女性の生活改善のため支援活動を続けています(ユニセフのイラク事務所は1983年に開設されました)。

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