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報告会レポートアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使
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■日時: |
2005年4月18日(月) 14:00〜15:30 |
■場所: |
ユニセフハウス1階ホール |
1956年の独立以来、スーダンはたった10年程しか「平和」を経験していません。スーダンの現状は、政治的な側面こそ伝えられますが、その中で翻弄される子どもや女性の状況は、「数字」以外の姿ではあまり伝わってきません。
2005年4月10日から16日までの日程で、スーダン・ダルフール地域の反政府組織支配地域を含め、各地の難民キャンプや被災した村々を訪れたアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使が、ユニセフハウスで帰国報告記者会見を行いました。
ダルフールはスーダンの中でもちょっと変わった地域といわれています。フール族が多く暮らす地域ですが、1956年にスーダンが独立するときも自分の国をつくるか、それともスーダンの一部に入るのかと悩んだ地域でもありました。スーダンでは50年間、断続的に内戦が続きましたが、2005年1月、政府と反政府軍SPLA(スーダン人民解放軍)の間に和平交渉が成立するという、とてもいいニュースがもたらされました。
しかし、この和平交渉の間にもダルフールでは多くの不満が募っていました。自分たちの声を聞いてほしいと、2003年に新しい反政府軍SLA(スーダン解放軍)が、その後にJEM(正義と平等運動)という組織ができ、政府と対立し始めたのです。当初は反政府軍側からの攻撃が活発でしたが、やがて反撃のために、騎馬民族の民兵を利用した政府側からの大規模な攻撃が始まったといわれています。この点について政府側はまだ認めていません。政府側と反政府側の戦いの中でたくさんの人々が亡くなり、そしてたくさんの避難民が発生しました。今、避難民の数は240万人、うち140万人が18歳以下の子どもといわれています。
私はまず、南ダルフールのニヤラという地域を訪ねました。難民キャンプのひとつ、カスキャンプで、そこに集まっている人々の話を聞きました。ある女性は、ジャンジャウィードと呼ばれる馬やラクダに乗った民兵に村が襲われ、人を殺し、物を奪い、火をつけられ、怖くなって子どもを連れて逃げてきたといいます。夫が殺され、5人の子どもを連れてキャンプまで3時間走って逃げてきたが、配給を受け取るために必要なカードをまだもらえず、食べ物に困っているとのことでした。どのキャンプへ行っても、どの女性に聞いても同じ話しを耳にしました。最初に空襲が、その次に車が、そして馬とラクダに乗った人たちが来て村が襲われたといいます。
次に私は反政府軍のSLAが支配する地域、フィーナに入り、SLAの指揮官とフール族の15万人を取り仕切るフール族の長に会いました。フール族の人々がたくさん逃げてきていましたが、周囲から隔絶されたこの地域では難民キャンプがなく、援助もまだ入っていません。逃げ込んできた人たちは親戚をはじめとする人々の好意に頼って生活をするしかない状態でした。そこで話をした女性は、村が襲われて夫と2人の幼い子どもと逃げてきて以来、約2カ月間、屋根もない木の下で暮らしているということでした。すごく暑く、日差しも強く、目もあけられないほどの激しい砂嵐が吹く中で生活しているのです。
子どもたちが食べているものを見せてもらい、一緒に食べました。ソルガムという穀物です。彼女たちは自分たちの家もなく、人のお世話になっているので、鍋の下に固まり、片栗粉が固まったようなものを集めて食べていました。たくさん砂が混じっていましたが、それでも子どもたちは一生懸命食べていました。陸路・空路によるアクセスも困難なため、結果としてフィーナでは支援を受けられないところがたくさんあるのです。
南ダルフール・キドニール村の教室。この壁の前で、子どもたちがアラブ系民兵組織に射殺された |
SLAの指揮官に案内されて次に訪れたキドニールは、1万1,000人が住んでいた、同地域の中でも大きな町ですが、私が訪れたときには住人がひとりもいませんでした。キドニールを通らないとフィーナへは辿り着けないため、フィーナを攻撃したい場合はまずキドニールを支配下におく必要があります。キドニールはそのために4回も襲われたのです。ここでは、マス・グレイブという1つの穴の中にたくさんの人が埋葬されているお墓をたくさん見ました。250人が埋葬され、うち何十人かが子どもということです。家は全部、破壊されたり焼かれて、物は何も残っていません。市場も全て破壊され、物は残っていませんでした。一番つらかったのは学校を見せられたときです。子どもたちはちょうど学校に行っていたときに襲われ、廊下のようなところに並ばされ、処刑されたそうです。その痕が染みとなっていっぱい壁に残っていました。
キドニール村で虐殺された村人の墓にて。後ろにいるのはSLAの兵士 |
キドニールで出会った反政府軍の兵士たちに「話を聞かせてください。なぜ反政府軍になったのか教えてください」とお願いすると、いろいろな話をしてくれました。2004年9月まで農民だった42歳の男性は、息子を2人殺され、戦うことにしたと言います。大学を卒業した男性は、自分たちフール族はひどく差別され、村が襲われたため、軍人になることを決めたそうです。母親を除くすべての家族を失い、もう何も失うものがない、復讐のために戦うという人もいました。寂しくないですか? 家族と会いたくないですか? と聞くと、男性はみな涙を流していました。そのとき私は、政府軍であろうと、反政府軍であろうと、みな誰かの子、誰かのお父さんなのだと実感しました。
2日目、状況のよくない北部最大の町エルファシのアブ・シュークキャンプという大規模なキャンプを訪れました。当初3万人のためにつくられた避難民キャンプですが、9万人が避難し、現在も増え続けています。ここでは水不足が一番の問題でした。もともと砂漠地域で、水が不足している地域です。ユニセフはたくさんポンプを作り、みんなが安全な水を飲めるようにしていますが、それでも人間が約3倍に増えたため、水を手に入れるために、子どもや女性は1〜2日並ばなければならないのです。水を手に入れようと並ぶ人の列が延々と続いていました。
北ダルフール・エルファシのアブ・シューク避難民キャンプ |
キャンプで出会った男の子の家を訪れ、お母さんに尋ねました。「あなたが今、一番欲しいものは何ですか?」と。お母さんの答えがとても印象に残っています。1番目は子どもの教育、2番目に食べ物、3番目は治安がよくなって平和が来て家に戻ることだというのです。満足に食べることも水を飲むこともできず、住むところもないのに、お母さんが一番心配していたのは子どもの将来のことでした。どんなときでも、希望を失わないことがとても大切だと思いました。ユニセフは緊急援助の中で子どもたちの教育を進めます。教育は子どもや親に希望を与え、生きる力を与えてくれるのです。お母さんの話を聞いたときに、改めてユニセフの活動は正しいのだと思いました。
アブ・シュークキャンプの中で私が一番精神的に打撃を受けたのは、レイプされた女性の話です。ひとりの女性が、目の前で19歳の自分の娘がレイプされるのを見たことがとてもつらいというのです。キャンプの周辺でレイプされた女の子たちの話も聞くことができました。薪を集めに6人のグループでキャンプの外へ出たところをアラブ(注:騎馬民族、自分と同じ地元出身ではない人の意)に襲われたのです。一番年上は25歳、一番年下が13歳の子でした。どこまで逃げればいいのかと、彼女たちは言っていました。親族やきょうだい、親が殺されたためにキャンプに逃げてきて、そのキャンプで再びこのような目に遭う。どこまで逃げればいいのか? 私にも分かりません。
今回の訪問を通じて、ダルフールの惨状のレベルを実感するとともに、争いの原因の複雑さの一端もわかったような気がします。ダルフールの人々は「これからハングリーシーズン(飢えの季節)がくる」と言います。雨季が訪れるまで雨が降らず、食べ物が底を尽くのです。以前はこの間、いろいろなところで仕事を求め、家畜を売ることによって生計を立てることができました。今は戦いのためにそれができません。恐らく、まだまだたくさんの人たちが飢えのために仕方なく自分の村から離れざるをえなくなると思います。
ダルフール地方における大きな取り組みのひとつとして、ユニセフはいま、政府と手を組み、安全な水の確保に取り組んでいます。多くのキャンプで、ユニセフが水の分野の支援を担っています。今は90万人の避難民に水を提供していますが、対象をすべての避難民に拡大できるよう努力しています。
アブシューク避難民キャンプにて。この赤ちゃんは栄養不良を患っている。 |
医療面では、様々な民間の援助団体と協力し、現在140万人の人々に医療サービスを提供しています。140万人でもまだ支援対象の半分ですので、やるべきことがまだたくさんあります。教育面では、キャンプに集まっている子どもたち16万7,000人の子どもたちの就学を支援しています。ですが避難民の子どもは140万人にのぼるため、もっと多くの子どもたちが学校に通えるよう、学校を作り、教員を養成していこうとしています。子どもの保護面では、親がいなかったり、精神的なダメージを受けている子どもたちが保護対象になります。現在8,300人が保護の援助を受けていると言われています。
これらの活動を続けていくために、一人でも多くの子どもたちを助けていくために一番大切なことは、まずダルフールに平和が戻ることだと思います。ユニセフは今年、1億3,500万ドルが必要だと訴えていますが、まだその半分も集まっていません。ぜひ皆さんにスーダンの現状を理解していただき、子どもたちを支援していただければと思います。私も、自分に何ができるのか、自分自信に問いかけながら、皆さんと一緒に考えてまいりたいと思います。