報告会レポート
←パレード〜記念式典(第1部)
(財)日本ユニセフ協会創立50周年記念行事 「ユニセフ子どもの祭典」
第二部 シンポジウム「〜危機に晒(さら)される子ども達〜」
基調講演
■キャロル・ベラミー 前ユニセフ事務局長
プロフィール:1942年、米国ニュージャージー州生まれ。1963年から65年、平和部隊の隊員としてグアテマラに赴任。1973年、ニューヨーク市議会議員に選出。1978年に女性として初のニューヨーク市議会議長を務める。就任以来、子どもの権利を包括的に擁護・批准する組織としてユニセフを成長させることに貢献し、2005年4月30日、10年間の事務局長としての任期を終えた。
|
今日私はユニセフ事務局長として最後の日を迎えました。子どもたちは武力紛争によって破壊的な影響を受けており、私がユニセフで過ごした10年間、その影響から子どもたちを守ることがひとつの大きな課題でした。今日この機会に、その問題について皆さんと話し合えることをとてもうれしく思います。武力紛争からの子どもの保護は、他の多くの分野と同様、日本の皆さんからのご支援と取り組みがユニセフを大きく支えてくださっている分野のひとつです。ここに改めてお礼を申し上げたいと思います。
戦争は子どもたちが始めるわけではありません。また、戦争のことを理解できる子どももめったにいません。しかし紛争に巻き込まれる子どもは、紛争が自分たちにとって何を意味するのか、それを誰よりもよく理解しているのです。紛争が起きれば、子どもたちは家やコミュニティから有無をもいわさず追い立てられます。学校や保健施設は閉鎖され、破壊されます。口にすることすらはばかれる暴力、それも往々にして自分のお父さんやお母さん、きょうだいや友だちに対する暴力を目の当たりにすることになります。怪我を負ったり精神的に打ちのめされたり、兵士として自ら武器を手にとって戦闘に加わり、人殺しをすることを強いられることもあります。性的暴力を受け、おとなになる前に子どもを産むことすらあるのです。
紛争は子ども時代を脅かす根本的な脅威のひとつであるばかりでなく、実質的に、子ども時代に終止符を打つものなのです。
子どもたちの苦しみは決して避けられないものではない——私はこの10年間、そう確信してきました。世界から暴力的な紛争をなくす力は私たち自身の中にある——私はそう信じたい。ですが、私たちはそれが不可能であることを知っています。ユニセフには、戦争を止めたり、平和を約束する力はありません。努力しても、どの機関にもそのような力はないのです。
ですがこれは、暴力的な紛争の前にして、私たちが無力であるということを意味するものではありません。私たちが取り組むべき課題は、紛争が子どもたちに及ぼす影響を和らげ、紛争が続いている間も沈静化した後も、子どもたちをしかるべき形で保護する方法を見つけ出すことです。
この課題は並大抵のものではありません。これまで、戦争は子どもたちに残酷なまでの仕打ちを繰り返してきました。しかし、暴力的な紛争はこの数十年の間にその性質を変え、子どもたちやその家族にさらなる犠牲を強いつつあります。1990年から2003年まで14年間続いた冷戦が終了したあと、世界48カ所で59の大規模な武力紛争がありました。このうち、国家間の戦争は4つしかありません。これはすなわち、今日の戦闘が戦場ではなく、人々が暮らす場所で行われていることを意味しています。一般市民が、ますます暴力の直接的、間接的な対象になっているのです。
実際、子どもたちはますます武力紛争の対象にされつつあります。1990年代に紛争で死亡した360万人の犠牲者のうち、半数近くが子どもでした。さらに数百万人の子どもたちが重傷を負ったり一生治らない障害を負ったり、性的暴力やトラウマ(心的外傷)、餓えや病気を耐え忍んでいます。紛争のために、およそ2,000万人の子どもたちが自分の家やコミュニティから追い立てられました。
アンゴラやシエラレオネのように近年紛争が終わりを迎えた国もありますが、多くの国々では紛争が常態化し、何年にもわたって続いています。例えばウガンダ北部やスーダン、コロンビアでは子どもたちが紛争に巻き込まれ、生活のすべてが暴力と恐怖の闇に飲み込まれています。
紛争は時を越えて残虐な影響をもたらします。長期間にわたって、人々の健康全般に破壊的な影響をもたらすのです。典型的な紛争が5年間続くと、5歳未満児死亡率は13パーセント上昇します。
シエラレオネは10年間続いた内戦を経て、5歳未満児死亡率が世界で最も高くなっています。出生1,000人中284人の子どもが、5歳の誕生日を迎えることなく命を落としているのです。
紛争下にある多くの国々ではHIV罹患率も高く、子どもを含め、感染が急激に広まる環境を生み出しています。ルワンダでは、1994年に起こったジェノサイド後、2,000人の女性がHIVの検査を受けました。その多くがレイプ被害者でしたが、80パーセントの女性が陽性と診断されました。その多くは暴力を受けるまで、性的に活動的ではない女性でした。
ですから、問題は、暴力的な紛争が生みだす状況をいかに緩和することができるか、ということなのです。
まずはじめに、子どもの権利を促進し、紛争や混沌とした状況の中でも、子どもの権利が尊重され、保護されるようにすることが大切です。紛争下ですら、いえ、特に紛争下では、子どもたちを危害から守り、必要不可欠なサービスを提供してその命と福祉を守らなければなりません。
「平和地帯」としての子どもという考え方は、国際法において確立されたものではありませんが、いくつかの紛争状況の中で子どもたちの命を救ってきました。たとえばスリランカでは、2003年10月に全国予防接種の日がユニセフの支援により設けられ、北東部の紛争地域で100万人を超える子どもたちがポリオの予防接種を受けることができました。政府と反政府武装勢力の「タミル・イーラム解放の虎」は、1995年以来、毎年この「静穏の日」を遵守しています。この静穏の日の期間中は、スリランカ全土の子どもたちが予防接種を受けています。
子どもたちのために保護的な環境を創り、どこにいようとも、安全に尊厳を持って生きることができるようにすることで、「平和地帯」という考え方をより多くの人々に受け入れられるようにすることができます。これこそ、子どもの権利条約に定められた子ども時代の本質です。子ども時代を十分な保護を受けながら生きることは、限られた子どもにのみ許された特権ではなく、すべての子どもに与えられた権利である——歴史上もっとも多くの国々によって批准された子どもの権利条約はそう謳っています。
保護的な環境はまず家庭からはじまります。家族が保護の最前線となるのです。ですが、子どもたちが間違いなく安全に暮らすことができるようにすることは、政府や学校の先生、宗教的指導者や保健員、法執行機関を含む、すべての人々の責任でもあります。誰かが、あるいは社会の一部が子どもの保護に失敗したとき、その子どもの安全網には穴があきます。紛争が発生したときにすでにその安全網に穴があいていれば、それはすなわち、安全網そのものがやがて崩壊することを意味するのです。
私たちは、子どもたちを虐待する者の責任を追及することによって、紛争下の子どもたちを守ることができます。戦争は避けられないものなのかもしれません。ですが、戦時における子どもの虐待は、決して受け入れられるものではなく、確実に防ぐことができるはずのものなのです。私たちは迅速に、かつ徹底して、紛争下の子どもを虐待する者たちに対する法の執行を推進しなければなりません。故意にであろうが過失であろうが、そのような暴力行為を容赦する人びとの責任を追及しなければならないのです。
もちろん、世界の子どもたちを脅かす脅威は紛争だけではありません。ユニセフが発行した『世界子供白書』2005年度版では、武力紛争のほか、HIV/エイズと極端な貧困を今日の子ども時代を脅かす最大の脅威としてとらえています。世界の子どもの約半数が貧困の中で暮らし、安全な水や衛生設備、十分な栄養など、子どもの生存や成長・発達にとって必要不可欠な基礎的サービスを大幅に奪われているのです。
武力紛争、HIV/エイズ、そして貧困——子ども時代を損なう要因はこれらがすべてという訳ではありませんが、子どもの生存と発達に対して、最も重大、かつ深刻な影響をおよぼしている要因のひとつであることに間違いはありません。
過去10年間、このような難問に立ち向かってきたユニセフ。その一員であれたことに、私はとても誇りを感じています。皆様からの引き続きのご支援とご協力によって、ユニセフはこれからもこれらの課題に挑戦し続けることができます。そしていつの日か、子どもたちはこれらの困難を乗り越え、子どもたちにふさわしい生活を送ることができるようになるでしょう。
ありがとうございました。
▲ページトップへ
■谷垣 禎一 ユニセフ議員連盟事務局長
プロフィール:1945年、京都生まれ。1983年8月衆議院選初当選以来現在まで、8期連続で衆議院議員を務める。1988年8月のユニセフ議員連盟結成時に事務局長に就任。以来、ユニセフ事務局長や事務局次長が来日の際に、ユニセフ議員連盟の会合を主催、また日本政府に対して子どもの権利条約の早期批准を促すなど、世界の子ども権利実現のために積極的な活動を展開されています。1999年の「児童買春・児童ポルノ等禁止法」の設立及び2004年の同法改正では中心的な役割を担う。
|
皇太子殿下、そして皇太子妃殿下のご臨席を仰ぎまして、日本ユニセフ協会創立50周年の記念行事がこのように盛大に行われております。日本ユニセフ協会創立50周年をまず心からお喜び申し上げたいと存じます。
日本とユニセフの協力関係は、先ほどからもお話がございましたけれども、昭和24年(1949年)に始まっておりまして、1962年(昭和37年)までの13年間に約150万人の子どもたちがユニセフの支援を受けたと推定されております。私自身もユニセフのスキムミルクを飲んで育った世代に属しているわけでございます。
その当時、ユニセフの支援に対して多くの国民から感謝状が寄せられ、そしてまた子どもたちから絵が届けられたりしたようなことがございまして、その整理をするために集まったボランティアの方たちがユニセフへの協力を続けたい、そう考えてつくられた組織が日本ユニセフ協会の母体となったと聞いております。現在、日本が開発援助で世界をリードするような働きをなし、そしてユニセフにとっても重要なパートナーとなっておりますが、そのはるか昔にボランティアの方々によるユニセフ支援が始まっていたということになります。
私とユニセフの関係は、今も司会の方にご紹介をいただきましたように、昭和63年(1988年)にユニセフ議員連盟ができましたときに事務局長に就任いたしまして、そのとき以来ユニセフとの関係を続けているわけでございます。
ユニセフ議員連盟がつくられた背景には、先ほど議員連盟会長の橋本龍太郎元総理ご自身からお話がございましたけれども、橋本さんのご母堂、橋本正様の大変なご尽力がありました。橋本正様はボランティアとして1950年代からユニセフ支援活動に携わられ、そして日本ユニセフ協会の専務理事として、長い間、献身的に働いてこられた方でございます。日本におけるユニセフ支援を磐石なものとしていくためには、幅広い政治的なバックアップが必要だとお考えになって、多くの国会議員を熱心に説得され、100名以上のメンバーからなる超党派の議員連盟の設立にこぎつけられたわけですが、その設立総会で大変印象的なスピーチをなさった、その直後にお倒れになりました。私は、したがいましてこの議員連盟は橋本正様の魂がこもっている議員連盟だというふうに考えているわけでございます。
ユニセフ議連が誕生してから既に15年以上になります。その間に私たちは、先ほどスピーチがございましたキャロル・ベラミーさん、あるいはその前任者のジェームス・グラントさん、さらには世界各地のユニセフの現場で働いておられる方々と出会い、多くのことを学ぶ機会を持ってまいりました。また、ユニセフの活動の現場を知るために視察団も送り出しまして、私自身もベトナム、モザンビークあるいはハイチ、こういったところでユニセフの現場を見てまいりました。
そして、2002年5月にニューヨークの国連本部で国連子ども特別総会が開かれましたが、その議会人フォーラムには我が国の衆参両院からも代表団を送ろうということで、国会として正式な代表団を送り、私自身がその議員団の代表として出席をさせていただきました。
私ども国会議員は、ともすれば欧米との外交関係といった議論で忙しくて、開発途上国の子どもや女性の生活について理解を深める機会があまり持てないのが現実でございます。国会の海外視察などでは外交、貿易、あるいは私自身の仕事で申しますと為替や金融、こういった議論をすることはしばしばあるわけでございます。
しかし、ユニセフなどの援助を必要としている国に行ってみますと、人々が絶望的な貧困の中で生きて、子どもたちが教育の機会を奪われている。そして、赤ちゃんが簡単に防ぐことのできる病気で次々と死んでいくという現実、まさに今日のシンポジウムのテーマであります「危機に晒(さら)される子ども達」の現実が実感できます。そして、貧困や援助の問題を考えるときにも、人間の顔が見えるようになってまいります。
日本政府は、21世紀の外交の政策理念の柱の一つとして「人間の安全保障」ということを掲げておりますが、貧困や紛争の人間の顔を知ることによりまして、欠乏や恐怖から逃れることのできない人々に対して、日本を含む国際社会に何ができるか、何をしなければならないのかを考え、理解する手がかりが与えられます。
私自身もユニセフの活動の現場で多くのことを学ばせていただきました。ハノイへまいりましたときは、夜、遅くまでアルミのなべを持って屋台の飲食店を回って、客の食べ残しを集めていた子どもたちの姿を見ました。せめてすべての子どもが小学校に通えるようにしなければと力を込めてホーチミン市の市長が私に語られました。また、保健や農業についての教育を普及させるためには、ラジオ放送施設を近代化したい、援助してほしいと必死で訴えられたモザンビークの教育大臣のお顔もいまだに忘れることはできません。また、HIV/エイズの脅威と予防のための教育の必要性を熱心に解かれたハイチのユニセフの現地職員の方々、私はこういう方々から多くのことを学ばせていただきました。現地に行って人々の声を聞くことによって、問題の本質がよりよく理解できたと思っております。
ユニセフ議員連盟が発足した当時と比べますと、子どもを取り巻く環境にも大きな変化が生じております。それは子どもの権利条約が起爆剤となった変化だと私は思っております。この条約が1989年(平成元年)に国連で採択されまして、アメリカとソマリアを除く世界のすべての国が締約国となったことによって、子どもに関する世界の認識が大きく変わったと思います。これに従ってユニセフの活動にも途上国の子どものニーズにこたえるための支援をするというだけでなく、奪うことのできない権利を保障するという視点が強調されるようになりました。
ユニセフの任務の変化と拡大をリードしてこられたベラミーさんの信念と献身に私は心から敬意を払うと同時に、世界の子どもたちにかわって感謝の意を表したいと思っております。ベラミーさんは10年にわたる任期を通して子どもの権利を守り、子どもが持って生まれた能力を十分に発揮するための機会を拡大する、これをユニセフの任務として明確化し、実践されてこられました。ユニセフが子どもの商業的、性的搾取をなくすための取り組みを強化していることにも、それが明らかになっていると思います。子どもの性的搾取は、言うまでもなく最も許しがたい権利侵害でございます。
そういう権利侵害をなくすために、日本でも1999年(平成11年)に「児童買春・児童ポルノ等禁止法」が施行されました。さらに、去年はその見直しに基づく改正が行われました。また、今年は児童の売買等に関する児童の権利条約選択議定書が批准されまして、子どもの商業的、性的搾取をなくすための日本の取り組みが大きく前進し、国際社会からもこの問題の解決に果たす日本の役割に対する期待が高まっております。
私自身もこの問題の重要性を認識いたしまして、法整備に積極的に関与してまいると同時に、タイ、カンボジア、ミャンマーなどを訪れて、現実の厳しさと問題の複雑さを実感してまいりました。
私は、私たちの命の不思議さ、命のとうとさということをこの場に立って感じております。私どもの命は、この地球上に人類が誕生して以来、耐えることなく命から命へと連綿として続いてきた、その命を私ども一人一人が担っているわけでございます。そのような命の流れの中で次の世代を育て、そして次の世代に命が健全に継承されるようにすることこそが、日本の政治の、いや、世界の政治の根本課題である。そして、子どもの権利を守るということの本質はそこにあると私は考えております。国家の責務の基本の一つは、国際的に自国を誇りに思ってもらえるという環境をつくることであると私は思っております。私がユニセフへの支援をライフワークと考えておりますのも、まさにこのような国家の責務を果たすために寄与することの大切さを確信するからでございます。
最後になりますが、10年にわたってユニセフ事務局長として世界の子どもたちの権利を守るために献身的な働きをしてくださったキャロル・ベラミーさんへの感謝の意を込めて拍手をお送りしたいと思います。ベラミーさん、本当にありがとうございました。そして、アン・ベネマンさんのもとでユニセフがさらにみずみずしい活動をしてくださることを心から期待いたしまして、私のスピーチを終わらせていただきます。ありがとうございました。
▲ページトップへ
≪はじめに≫
【アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使】
今日は日本ユニセフ協会50周年の記念シンポジウムに参加してくださって、本当にありがとうございます。
今日、このシンポジウムは「危機に晒(さら)された子ども達」がテーマです。日本の中で私が生活していて、世界の中の子どもたちの現状はなかなか知ることができない。第二次世界大戦が終わってもう60年になりました。世界の人口も60億人を超えました。冷戦が終わって、子どもの権利条約が発効されて15年がたちました。それでも今でも10億人以上の子どもたちが戦争や病気、貧困で苦しんでいるんです。1,100万人の子どもたちが毎年5歳になる前に死んでしまいます。1億5,000万人の子どもたちは小学校の年齢なのに学校に行けない。2億5,000万人の子どもたちは労働者として使われている。1,500万人の子どもたちはエイズで親をなくしました。安全な水が飲めない、満足に食べられない、戦争で犠牲になる、どうしてこんなたくさんの子どもたちがそこまで苦しんでいるんだろう。
日本ユニセフ協会は設立して50年経ちました。この機会に私たちはぜひ、子どもたちがどんな危機にさらされているのか、なぜそうなったのか、私たちは何ができるのか、何が一番大切なのか、パネリストの皆さんの報告、知恵、そしてビジョンを聞いて、皆さんと一緒に考えてまいりたいと思います。
【東郷
良尚 日本ユニセフ協会専務理事】
最初に、今回のシンポジウムの趣旨をご説明いたします。
先ほどからご紹介にあるとおり、今年、日本ユニセフ協会が50周年を迎えさせていただいた、この間の皆様方の本当に力強いご支援のおかげで、世界の子どもたちの幸せのためにかなりの力を発揮しつつあるんじゃないかと思っているわけでございますが、にもかかわらずこの歴史の中で、先ほど谷垣先生からもお話がありましたように、平成元年に採択された子どもの権利条約がございまして、この権利条約に定められた生存、発達、保護、そして参加というこの4つの権利を、あらゆる国の子どもたちが全うできるようにしていくということをアドボケート、提唱者として子どものために発言していくという活動をするようになってまいったわけでございます。
1994年に日本でもこの条約を批准・発効しまして、それによって日本の国としても非常に本格的にこの権利条約に基づいて仕事をしていくという形ができたわけでございます。幸いにも、特にここ10年ほどは募金の面でも大変なご支援をいただきまして、急速に拡大してまいりました。先ほどからお話がございますように、世界でも最大の規模になってきたということでございます。
にもかかわらず世界の子どもたちの状況というのは、今でも50の国や地域で紛争が続いているということが一方でございます。また、私どもは日本におりますと、本当にグローバリゼーションの影響というのはすばらしいプラスの効果をエンジョイしているわけでございますけれども、これの負の側面というのがあるわけです。それが途上国の子どもへのしわ寄せになっているという面がございます。
したがって、今日はこれらの危機に晒(さら)される子どもたちに焦点を当てて、その問題点と今後の取り組みを皆様と一緒に考えさせていただきたいということがその趣旨でございます。
▲ページトップへ
子どもたちは、どんな危機に晒(さら)されているのか
【シャラッド・サプラ ユニセフ本部広報局長】
早速ですが、今回は子どもと紛争、ここに焦点を当ててお話をさせていただきます。
過去15年間で、世界におきまして59の大きな武力紛争が起こっております。うち55件はいわゆる内紛でございました。これらの紛争によりまして160万人の子どもたちの命が亡くなっています。
さて、アフリカのルワンダにおきましては、何と90日でカナダの5歳未満の子どもたちの人口を上回る子どもたちが命を失っています。さらに、いわゆる世界最貧国20カ国の中で、15カ国におきましては、この15年間で少なくとも一つの大きな紛争が起こっています。
統計によりますと、もし紛争が起こりまして、それが5年間継続いたしますと、5歳未満の子どもたちの死亡率が何と13%も上がるということです。さらに、この15年間で2,000万人以上の子どもたちが自分たちの家を去らなければいけないという状況にあります。いわゆる避難民の状況になっているわけですが、この人口は東京、大阪の人口をあわせたものに匹敵いたします。
昨日、実はベトナム戦争が終焉して30年を迎えたわけでございますが、30年たった今でも子どもたちが地雷、または不発弾によって手足を失ったり、尊い命を失っています。
さて、もう一度アフガニスタンに目を向けてみますと、実はこのアフガニスタンという国は世界で最もたくさんの地雷が埋められている国であると指摘されています。アフガニスタン全土の地雷を撤去するのに、あと15年もかかるということです。ということは、その間、多くの子どもたちが地雷の犠牲者になり得る可能性があるということを意味しています。したがって、こうした子どもたちにとっては戦争は終わっていないということになります。
このアフガニスタンの紛争当時、400万人以上の人たちが家を追われてしまいました。しかもその間、いろいろな資格を持っている人たちが国を去らなければいけない。そういう状況の中で、残された人たちは、基本的なサービスさえ受けることができなかったという問題が起こりました。
家を失った子どもたち、また孤児、特に女の子は人身売買、それから性的搾取の非常に大きな脆弱性、危険にさらされていますし、また子どもの兵士の問題もそこには明確にあります。
ユニセフは日本政府と協力いたしまして、アフガニスタンにおきましては2,500人以上の子ども兵士を解放するお手伝いをさせていただきました。しかし、問題は決して終わってはいません。
このアフガニスタン戦争中に、実は給水ポイントの50%以上が完全に被害を受けてしまいました。そして、学校のほうはといいますと、75%の学校が被害を受けてしまいました。被害を受けなかった学校は、結局は駐屯地、または要塞として使われるということになりました。その結果、本来であれば安心して勉強すべき学校の周りに地雷、または不発弾が残り、非常に危険な状況になったということを意味しています。
7年のタリバン政権下におきまして、女の子たちは学校に行くことが許されていませんでした。ということは、新しい若い世代の2分の1の人たちは、自分たちの国家建設のプロセスに十分なスキルを持って参加できないという悲惨な結果になったわけでございます。実はワシダと私が呼んでいるある子どもがいます。彼女は女の子であるにもかかわらず、7年間ずうっと男の子の服装をして学校に行っていたという、考えてみますと、非常に悲しいストーリーを耳にしたことがございます。
ユニセフは各国政府、特に日本、アメリカ、ノルウェー、こうした各国の政府と協力いたしまして、戦後、紛争後、アフガニスタンの歴史の中でも最も高い就学率につながるお手伝いをさせていただきました。60日間という期間の中で、300万人以上の人たちが学校に戻ることができたということです。
戦争、または紛争というものは、特に子どもたちに大きな心の傷、トラウマを残します。実際に戦争、紛争を経験した私が知っている子どもたちの多くが、なかなか眠れない、また簡単に友人をつくることもできないという状況でございます。そして、そのような地域で育った子どもたちは、結局は何か問題があったとき、解決できる唯一の方法は銃しかないというふうに思ってしまいます。
戦争というのは数秒単位で物事を壊してしまいます。そして、壊されたものを再建しようということになりますと、数世代もの時間が必要だということをぜひ皆さんに考えていただきたいと思います。
そこで、私の個人的な結論になるかもしれませんが、どちらの側についても戦争は決していいものではありません。特に子どもたちにとっては悪しきものであると私は考えています。そして、どんな代償を払っても避けるべきだと思います。
【平野
次郎 放送ジャーナリスト/学習院女子大特別専任教授】
人間というのは、自分の目で見たこと、あるいは自分の耳で聞いたことは理解したり信じたりすることができるんだけれども、自分の目で見なかったり、あるいは聞かなかったことというのは、ともすればこの世の中にそういうものは存在しないんだというふうに思い込んでしまうことがあるんです。そういう人間に対して、「いえ、世の中の現実はこれなんですよ」というものを提供するのがジャーナリストの役割だと思います。
アグネスさんとの関係で言えば、『アジアに生きる子どもたち』というNHKの番組のときにご一緒して、アグネスさんがイラクで取材をした子どもたちのエピソードを紹介してくださった。やはり、ああいうものがあってこそ初めて私どもジャーナリストも、世の中の人たちにこれがこの世界の現実なんですということを説明することができるのです。それが私の役割だとずうっと思ってまいりました。
子どものことで言いますと、サプラさんがお挙げになった国、ルワンダという名前をおっしゃったんですが、その隣にウガンダという国がありまして、数年前そこの難民キャンプに数日間滞在したことがあったんです。熱帯雨林の中の難民キャンプで、電気、ガス、水道はもちろんありません。ですから、外からの情報は何にも入ってこない。そこの情報は外へ何も出ていかないのです。そこでほとんど日常茶飯事のように、子どもたちがコレラとか、チフスとか、そういう病気で倒れて亡くなっていくわけです。それが当たり前な場所がありました。
私もそこに行くまでは、そういう難民キャンプがあるなんていうことは耳で聞いても信じられませんでしたが、そこに一歩入りますと、これは大変ということがわかるんです。それをドキュメンタリーにして放送しましたが、そういうチャンスがなければ、日本の人たちも、ルワンダの熱帯雨林の中に12万人の人々が住んでいて、毎日何人もの子どもたちが倒れて、命を失っていく現実を知る機会がなかったのではないかなと思います。
私はジャーナリストという仕事をしてきたおかげで、いろいろなところに行って、いろいろな子どもたちに会いました。今でもあの子どもどうしているかな、大きくなってもう高校生になっているかな、あるいは結婚したかな、幸せに暮らしているかなと思ったりもしますし、その国で内戦がまた広がったりしますと、ひょっとして少年兵としてとらえられて、どこかで銃を持って戦っているのかもしれないし、あるいはけがをしているのかもしれない、いろんなことを考えます。そういう現実を、見たくはないんだけれども、見なければいけないという一種のジレンマのようなものを私はずっと感じて生きてきました。
それから、ユニセフについて言いますと、このシンポジウムが始まる前のご挨拶などの中で多くの方々が、日本が第二次世界大戦の直後にアメリカから受けた脱脂粉乳、スキムミルクの話をなさった。実はそれを聞くまで、私も自分が小学生のとき飲んでいたことをうかつにも思い出さなかったのです。でも、あれはアメリカ的な極めて明るい善意から出た人道的な行為だったと思います。ただ、それから60年近くたちまして、今の世界を眺めると、それだけではなくて、新しい問題が世界の子どもたちの前に立ちはだかっていて、東郷さんがおっしゃったように、アドボカシーの時代にならざるを得なくなっているという、この難しさを私は感じますし、子どもたちがそれをどのように理解しているのかなということも感じます。
▲ページトップへ
【アグネス大使】
戦争だけが子どもたちにとって大変なことではない。もう一つ、特に80年代から急速に増えたのは、子どもたちの人身売買や児童買春の問題です。その問題に最初から全力で、真っすぐ一生懸命取り組んで、いろんな人たちに力をかしてもらって活動してきたのは東郷さんです。今日は東郷さんに、この子どもたちにとって人身売買や児童買春というのはどういうものなのか教えていただきたいと思います。
【東郷】
まず、児童買春は、大きく分けまして商業的・性的搾取の対象になっている子どもの数はアジアで100万人と言われています。もちろん事柄の内容からいって、正確な数を知るということは非常に困難ではあるのですが、それが大体の数というふうに言われています。子どもの買春というのは絶対に許されてはならない問題、それがまだまだ世界で非常に多く見られるというのが大きな問題です。
1996年にストックホルムにおいて、子ども買春、子どもポルノを根絶するための世界会議が行われました。実はその種類の国際会議に日本の政府代表が出られたのは初めてだったのですが、その席上で日本は加害国としてかなり非難を浴びるような状況があったわけです。代表団が帰られまして、早速それに対する対応をとるべくご相談を受けたわけでございます。それまでにも児童の権利条約の日本における批准等において、私どもはある一定の役割を果たしてまいりました。その事実を知りましてから、翌年の1997年、児童買春等の根絶のための第二回世界会議を日本で開こうという目標を掲げて、さまざまなシンポジウムをしてまいりまして、皆様方にその問題点の大きさ、深さをご理解いただく努力をしてきたわけでございます。おかげさまで先ほどお話がありました谷垣先生等国会議員の先生方のご協力を得まして、1999年に日本でもこの問題についての法律ができまして、今日に至っているわけです。
問題は、子どもの買春といいますか、子どものセックスを買うという行為が需要として非常に多く存在するということでございます。これはいろんな要因があって、その一つの大きな側面というのはやはりグローバリゼーション、非常にマクロの面でいうと、経済的なグローバリゼーション、政治的、文化的なグローバリゼーションというのがすべて関係してくるのです。特にグローバリゼーションというのは、時と時空のコンプレッション、圧縮というのが非常に典型的に言われる言葉ですが、これは先進国にいる我々が非常に恩恵を被って、今日の先進国における繁栄を築いており、そのしわ寄せというのは途上国にいっています。途上国の中でも、都市の部分というのはかなりそのいい影響を受けてきている。
にもかかわらず途上国の中で、都市と農村との間にまた非常に大きな格差ができてきたということです。農村部におかれた子どもたちが売られるのです。同じ国の中とは限りません。アジアの中でも市場になっているところがありまして、その周辺の国からたくさんの子どもが売られてきます。比較的最近知られたことは、日本にもそういう子どもたちが来ている可能性が非常に高いということです。幸いにも、つい最近、日本においても子どもの売買、トラフィッキングといいますか、これを禁ずる法律ができました。これは子どもに限らず、もっと大きな網をかけてくださったわけですが、一応の対応はでき始めています。しかし、子どもの人身売買というのはいろいろな面で子どもの権利を大きく侵害する問題として立ちはだかっているということを今ここにご報告させていただきます。
【アグネス大使】
日本ユニセフ協会大使になった1998年、最初のミッションがタイでした。そのとき初めて私は、この児童買春、子どもたちの売買の深刻さを知りました。ホテルで待っていたら、お客さんについてきて、3人の子どもたちが入ってきました。本当に小さい子です。真っ白に顔が塗られて、ぴちっとした服を着せられて、あまりの小ささに私は柱の後ろに逃げて泣いてしまいました。タイの地元の子1人、そして2人はミャンマーから売られてきた子で、一番若かった子どもは12歳、一番年上でも14歳という話を聞きました。だれが買う、だれが売る。本当にそのときは人間不信に陥りました。
その後、私はカンボジア、フィリピン、そしてモルドバ共和国という東ヨーロッパまで行きましたがそこでも、子どもの売買が行われていました。買春だけではなく、労働力として男の子も売ります。船や農場、あるいは工場の中で働かされます。赤ちゃんは臓器売買や、臓器提供として使われ、養子として売ったり、いろんな形で子どもたちは搾取されています。まだまだ続いていることなんです。
ここで、私は4月10日から17日まで、今でも内戦が続くアフリカの一番大きな国、スーダンへ行ってきたのですが、その現地の報告をさせていただきたいと思います。
スーダンというのはアフリカで一番大きい国で、日本の7倍の大きさです。50年断続的に北と反政府軍の南で内戦が続き、今年1月に和平条約が成立して、平和の兆しが見えてきたはずでした。でも、実は西側にダルフール地域というところがありまして、そこは2003年から新たな反政府軍が結成され、この和平への交渉の中に入っていないことに反発して、政府と戦い始めました。
その争いがまだ続いていて、最初は反政府軍と政府軍の争いでしたが、だんだんとても複雑になってきまして、現地の言葉で「馬に乗った悪魔」という意味のジャンジャウィードが馬やラクダに乗って村を襲うようになりました。物を奪って帰ってしまうという強盗的な行動をとってきた人たちですが、今回ばかりは村に入ってきて人を殺し、物を奪い、女性を犯しては火をつけ、井戸を壊してしまい、人々が生活できないようになったそうです。
2003年から始まったこの争いで、180万人の人たちが家に帰れなくなって避難民となっています。影響を受けた人たちは全部で240万人、ものすごい数です。国連は今世紀の最悪な人道危機と言っています。安保理はその中で51名の人たちの名前を挙げ、人道侵害として国際刑事裁判にかける決議を行いました。スーダンでは、それに反発して、裁判にかけられるようなことがあれば、後ろについている部族によってダルフールは火の海になるとダルフールの地方の指導者は警告しています。
私は着いて初めて、ダルフールがどのくらいひどかったのか、とても精神的なダメージを受けました。まず、すごく状況が悪いんです。自然条件はよくない。砂漠と近いので、40度を超えるし、砂嵐です、いつも。水はすごく足りない。だから、昔から縄張り争い、水争いで争いはあったんだそうです。
でも、今回は、まず最初に着いた村はフィーナというところなんですけれども、山の上の村で、周りの村から襲われた人たちがいっぱい集まってきて、食べ物は足りない、何も足りないって、話ししていくうちに一人の女の人が洋服を脱ぐんです。そして、見てくださいと言うんです。そうしたら、背中とか、腰だとか、肩とか、足のところに銃弾の跡があるのよ。何とジャンジャウィードが襲ってきて、彼女の夫が殺されて、子どもを抱えて逃げるんです。後ろから馬に乗った男の人たちがわあっと追ってきたわけです。撃つんですよ、彼女を。彼女は助かったけれども、肩に抱いていた赤ちゃんが頭を撃たれて死んでしまったんだそうです。
その村の中には反政府軍のコマンダーがいたんです。そうしたら、全滅した村を見にいってくださいと。ヘリコプターで5分ですが、そこは本当に焼け野原。11,000人の人たちが住んでいた村が何にもなくなってしまいまして、本当は市場もあったところなので、周りから集まってくるにぎやかなところだったんだそうです。人間が一人もいませんでした。コマンダーとおりてきたら、ほこりがわあっと舞いますよね。それがとおさまったら、だんだん反政府軍の重装備した若い兵士が集まってきました、たくさん。そうしたら、コマンダーが言っていたんですけれども、私たちがやってきたときには、生きている人間はいません。死体だけです。おれのこの手で250人埋めましたよ、と。見せてくれましたよ、そのお墓を。
若い兵士が私たちを引っ張って、学校を見てくださいと言って学校へ行ったんです。空襲を受けたので、学校はほとんど壁しかないんですが、この壁を見て、ここなのよって。ここで子どもたちが並ばされ、そして銃で撃たれて死んだのよ、見てください、壁の中に銃弾の跡や脳みその跡や血の跡がついているでしょ。見てみたら本当にあったの。背の高いところ、背の低いところ、12歳から20歳の子どもたちだって言われて、もう本当にショックで・・・。その若い兵士がお墓に埋めましたから、私がお墓へ行きましょうと言ったら、ちゃんとお墓がありました。幾つかの大きな穴の中におさめたんだそうです。ぼくが子どもたち一人に石を1個置いたんだよって。そして、私は石を数えてみたら、40個くらいありましたね。
戦争は人間を悪魔にするかもしれない。だって、どういう人が馬に乗って女の人と赤ちゃんを撃つのか、どういう人が子どもをこうやって並べて撃つのか、って。
難民キャンプも幾つか訪ねました。一番大きかったのはアブシュークキャンプという北ダルフールにあるんですけれども、もともとは3万人のためにつくったキャンプに9万人やってきちゃったのです。私から見れば、時限爆弾みたいなものです。混み合ったところで水が足りない、食べ物が足りない、仕事はできない、自分の家には戻れない。お母さんたちが集まって、ユニセフがつくってくれた女性たちの場所あったので、そこで話を聞いたら、目の前で子どもを殺され、目の前で娘を犯され、夫を殺されたとか、いろんな話を聞きました。
でも、一番私がこたえた話というのは、6人の女性の話なんです。彼女たちは安全と思ってキャンプに逃げてきた。逃げて、逃げて、やっとやってきた。なのに、まきを集めに外へ出たとき、性的な暴力をされたんです。早い話、レイプされたんです。しかも真っ昼間、8人の男から繰り返し。一番小さい子は13歳だった。一番上でも25歳。みんな独身です。ダルフールはイスラムの社会なので、結婚できるかどうかとお母さんたちが泣きながらわめいていました。私たちは逃げて、やっとここが安全だと思ったのに、ここからどこへ逃げればいいのって。あと2カ月で雨期です。ダルフールは雨期に農民は種をまいて、作物をつくる。そして、乾期に家畜を連れて牧草を探す。今は自分の村に戻れない。牧草を探すこともできず、生計を立てることができないんです。
ユニセフの関係者が言っていました。7月になれば満足に食料も配ることができませんと。アフリカは社会、あるいは世界の忘れ物になるんだねって。こんなにたくさんの人たちが苦しんでいるのに、なかなか振り向いてもらえないんですよねって。私たちはできるだけ一人でも子どもたちが生き延びてほしいんだと言っていました。
私も同じ願いです。一人でも一日でも長く生き延びていただければ、平和が来るかもしれない。平和が来たら村に戻れるかもしれない。唯一の願いは、皆さんの協力によって一人でも多く生き延びてほしいだけです。そして、いつかはきっと幸せになると、私はそう思います。ぜひ協力してください。
でも、一番悲しいことは、そういう目に遭っているのはダルフールの子どもたちだけじゃないということです。さっきサプラさんが言ったように、いまだに57カ国が戦時中なんです。大体一番先に被害を受けるのは子ども、そして女性なんです。最近の戦争は、兵士になったほうが死なないという皮肉な結果があります。今日も子どもたちの代表が来てくださったので、みんなの報告を聞いた感想を聞きたいなと思います。
【品川
夏乃さん】
大人の事情で被害を受けるのはいつも立場が弱い子どもたちで、そういうのは今まで本などを読んでわかってはいましたが、実際にアグネスさんや、いろいろな人の現地の報告を聞いて、ものすごくショックを受けました。スーダンの学校で並ばされて殺されるなんて、本当に信じられないです。
子どもには生きる権利があるのに、それを奪われてしまうのは、私も同じ子どもとしてすごく悔しいですし、何とかしなくではいけないというのはわかっていますが、自分一人じゃ何ともできないというのも本当に悔しいとしか言いようがないです。
|
【望月
裕太さん】
今、皆さんから性的搾取の話をしていただいて、自分なりにどうしてこの問題が起きるのかと考えたときに、子どもは大人よりも弱い立場にあるから、どうしても子どもはこういう危機に遭ったときに袋小路に追いやられてしまって、前にも行けないし、後ろにも行けない、こういう状況に追いやられている。こういう状況をつくった世界がもう一度このことを見つめ直し、考え直してほしいと思います。 |
▲ページトップへ
≪原因はなにか≫
【アグネス大使】
現状を聞いて、胸が締めつけられるように、何でだろう、何でこういう状況があるんだって思いました。きょうはせっかく専門家がたくさんいらっしゃるので、どうしてそういうふうになっているのか専門家の意見を聞きたいと思います。
【サプラ氏】
なぜ子どもが影響を受けるのかというテーマであるわけですけれども、考えてみますと、かつて戦争というのは、いわゆる戦場で戦われた時代がございました。しかし、その戦場という概念そのものが昔のものになったと言っていいと思います。実は戦いの多くが人口の多い市街地で戦われている。例えばアフガン紛争を例にとってみたいと思います。敵に分かれて2つのグループが戦ったわけでございますが、この紛争も人口密集地で発生した非常に明白な事例であったと思います。
それからもう一つ、戦いが起こりますと、実は子ども、または女性たちを敵の攻撃から自分たちを守るために盾として使っているというところも、我々としては認識を持つべきではないかなと思います。
一つ私がほんとうに心配している事象がございます。特に政治の指導者の方々、一部の方々が、戦いによって子どもたち、または女性から死者が生まれているわけですが、こうした犠牲者というのは戦争に伴う付帯的な損害として考えられている。ここは非常に私は気になります。それから、子どもですから、走ろうと思っても、小さいわけですから、大人のように速く走ることができない。これも重要なポイントではないかと思います。実際に私はこの目で、スーダン南部で起こったことを見たことがあります。飛行機がやってきました。爆撃機が来ました。爆撃機が来たということで、みんな走って逃げようとするわけですけれども、結局、取り残されているのは妊娠をしたお母さん、そして小さな子どもたちでした。
それから、戦争または紛争ということになりますと、どうしても人々は目先の利益に注目してしまう傾向があるのではないかなと思います。子どもというのは未来を代表する、将来を代表する。したがって、未来の部分は後回しにされているという分析も成り立つと思います。
それから、子どもたちは結局、自分たちが生き残るために、どちらかにつかなければいけない。すなわち、そこで紛争が起こっている際に、自分たちに住める場所をくれる人たち、または食べ物をくれる人たちとどうしても組んでしまわなければいけないという現状問題があると思います。
ここで私は声を大にして言いたいと思います。戦争、紛争が起こった場合には、結局、犠牲者は子どもたちであるということ、戦争当事者ではないということ、これをぜひ裁判システムを通じて明らかにしていくべきだと思います。
それから、最後になりますけれども、子どもたちの声というものがきちんと我々の耳に届いていない、子どもたちの声が失われているというところが重要だと思います。もちろん子どもは子どもであるからといって、意見を持っていないということでは決してないと思います。今日も品川さんとか望月君が、非常にすばらしい子どもとしての意見を発表してくださっていると思いますが、メディアまたはアグネス・チャンさんのような方々、そういう立場にいる人たちが、本当に子どもたちは今何を言わんとしているのか、それを聞く機会というものをどんどんつくっていく努力をすべきだと私は考えています。結局、本当に気がおかしくなるような世界において、唯一まともなのは子どもである。そして、その子どもが我々の将来を創造してくれると私は考えたいと思います。
【平野氏】
子どもたちに被害をもたらす原因というのは、戦争、紛争、貧困、飢え、疾病、自然災害、いろいろあると思います。あるいはこういうさまざまな要因が組み合わさったものだと思うんです。
そのうち、一番悲惨なことをもたらすのは戦争だろうと思います。子どもというのは大人を見て育ちますね。大人がしていることを自分たちがしてなぜいけないんだろうというふうに思います。そうすると、大人が戦争しているのを見て育った子どもたちは、戦争をするのは当たり前だと思ってしまう。このあたりが考えなきゃいけないことです。飢えとか、貧困とか、自然災害というのは、それとはちょっと違うもので、本当に人道的に対処することができるのですが、戦争についてはその戦争の原因をたださなきゃいけないわけです。
じゃ、何のために戦うのかいろいろ調べていくと、権力欲であったり、闘争心であったり、支配欲であったり、あるいは怖いから先に銃を撃つという恐怖心であったりするのです。そういう大人の社会をつくり上げてしまっているものを直さなきゃいけないと思います。例えば紛争地、あるいは戦争している場所に行くと、必ず銃があって、ロケット砲があって、弾があって、だれかがつくって売っているのです。それはその国の人たちではないのです。よその国のもうかると思っている人たちが武器をつくって、それを密輸すればもうかると思っている人たちが密輸をして、それで自分たちは安全なところにいてしこたまもうけて、紛争地、戦争の現場では人々が命を落として、子どもたちが不幸になっていく。こういう仕組みを何とかしなきゃいけないんです。
それはユニセフとして見れば、それはユニセフのすることではないというかもしれません。だけど、それは国連の専門機関の一つとしてきちっとやることがユニセフにあって、しかし国連のほかの専門機関、あるいは国連自体がやらなきゃいけないことも別にある。協力してやればいい話だろうと私は思っているのです。そこのところを考える必要があると思います。
やはり大人の事情がよくないんですね。大人がもっと子どもたちのことを考えて、「自分の子どもたちだったらこういう思いはさせたくないな、よその子ならいいや」ではいけません。「自分の子どもたちだったらこういう思いをさせたくない、よその子どもたちも自分の子どもたちと同じようにこういう思いはさせたくない」と思えば、児童買春や性的搾取というのはあり得ないことだと思います。だけど、そうじゃないから、大人の心がすさんでしまっているから、子どもがその被害に遭うという一面もあるのではないでしょうか。私は、子どもの問題というのは、帰結するところは大人の問題だろうというふうに実は思っているのです。
【東郷】
非常に大きな原因だと思いますね。直接的な原因というのは、今お二人からも伺ったところなんですけれども、もっと深いところの原因というのがあるように思うんです。それはグローバリゼーションのもたらした格差というものにかなり大きな問題があるのではないかというふうに思います。
ここに1960年と1995年における先進国と途上国の経済的変化を比較した数字があるんですが、これは1999年のUNレポートにございます。これによりますと、先進国に住む世界の20%の人々の所得は、1960年には世界最貧相20%のそれの30倍であった。それが95年には82倍になっている。ほとんど格差が3倍に広がっているんです。それだけの格差がある。これは95年の数字ですから、現在までにはさらに広がっているということが言えると思います。これは単に先進国と途上国の差だけではなくて、途上国の中でも別の格差ができているということを申し上げる必要があるんです。したがって、どうしてもその格差をどこかで補てんする必要が出てきているんじゃないかという気がしております。
ユニセフがやっている仕事というのは、その一面をカバーしているにすぎないかもしれない。しかし、子どもに対する最前線において、その子どもたちが失いつつある、ないしは与えられない権威というものを何とか守っていくという部分をユニセフがやっているのだろう、やらなくてはならないのだろうと思っているわけです。この格差を放置いたしますと、途上国において若い人たちが、例えば原理主義であるとか、いろいろなナショナリズム等に走らざるを得なくなってくる、世界の秩序の破壊要因になり得るという警鐘を鳴らしております。
アラブの国、アフガンの問題でもありましたがいろいろなところで教会などの、宗教的な中心が実際には子どもたちに対する福祉の中心にすらなっているのです。これは彼らの伝統的な側面というのがあるわけです。ですから、そういう面でもし原理主義というものを拡大させるような状況が続くと、そこには危険がある。子どもたちは巻き込まれて、容易に兵隊にも行きやすい。いろいろな問題点が出てくるということでございます。そういう大きな意味でも何とか途上国における経済的格差の解消に我々は努力していく必要があるということを申し上げたいと思います。
▲ページトップへ
≪今、私達ができること≫
【アグネス大使】
100%解決できないとしても、私たちは何をやるべきなの、一人一人の自分、あるいは国、団体、私は今日からとるべき行動は何なのというアドバイスも先生たちからいただきたいと思います。
【平野氏】
まず解決方法についてですが、病気にかかったときにその病気を治すとき、その症状を治す治し方と、それから根本的に体質を改善してしまうという治し方があり、両方とも必要なんだけれども、根本から体質を変えることがもしできれば、発疹とか、肌荒れとか、そういう症状も出にくくなるだろうと思うんです。ですから、私は根本的な体質を治すことにかなりエネルギーをまず使うべきだろうと思いまして、それと並行的に体の表面に出た症状を抑えていくという、その2つの方法を並行して行うべきだと思うんです。
ユニセフが行うことというのは、どちらかというと後者のほうの治療だろうと思います。体質改善のほうは多分に政治的な、あるいは経済的な問題が絡んでいますから、そういう人たちに努力をしてもらえばいいのでは思っています。
さて、それからメディアについて言いますと、メディアの仕事というのは、見る人がこれはちょっと見たくないなと思うようなことでも見せなきゃいけないだろうと思いますし、こういう話はかわいそうで聞きたくないという人にも聞いてもらわなければいけないと思います。とりわけ大きな権限を持っている人たち、政治家とか、経済人とか、教育者とか、そういう人たちにはより多く見たり聞いたりしてもらわなければいけないと思っています。
そういう意味でユニセフというのはとても効果的なメディアに対するプレゼンテーションの仕方をしていると思います。ユニセフで私がすぐ思い出す顔というのが幾つもありまして、もちろんアグネスの顔とか、黒柳徹子さんの顔を思い出すけれども、以前であればダニー・ケイとか、ダイナ・ショアとか、あるいはオードリー・ヘップバーンとか、ああいう本当に善意の人たちの協力を求めてユニセフの仕事を紹介するとともに、ユニセフの仕事に対するサポートを世界中の人々に求めていくというやり方は、とてもいいと思います。本当は現場だけ見るとものすごく悲惨な現場なのですが、そこにアグネスさんや、オードリー・ヘップバーンとか、ダニー・ケイが行くと、その悲惨なところがちょっと中和されて楽しいような映像になってきます。ああいうことを続けながら、本当に大切なことは何かということをメディアは訴え続けるべきだろうというふうに思っています
【東郷】
メディアの関係では、私は非常に重要な役割を果たしてきていると思うんです。
子ども買春の問題について、最初に世界の関心を高めた事件があります。フィリピンで、ある外国人の医師が子どもをもて遊び、死にいたらしめた「ロサーリオの死」という事件がありますが、外国人は特に途上国ではかなり力を持った人が多いですから、国内で告発する力が弱かったんです。にもかかわらず、それをヨーロッパ系のメディアが勇気を持って世間に問うたというのが一つの端緒になって、子ども買春、特に子どもに対する性的な行いというのが非常にひどい問題を含んでいるということが明るみに出たわけです。
また、スリランカというのはわりと小児性愛が多いところなんですけれども、そこであたかも子どもたちに対する慈善家のような顔をして、家族にまで振る舞いをし、現地ではある意味では非常に尊敬されているような人だったんですが、その人が実際には自分の家へ子どもたちを引き込んでは非常にひどいことをしていたということがわかってきたのです。それについても、現地では非常に力のある人でしたから、なかなか告発ができなかった。それを世間に知らしめて、その人を自国で罪にすることができたのはメディアの勇気ある力だと。そういう背景があったわけです。これは全部、ヨーロッパの判例集の中に出てきます。
したがって、メディアの方は勇気を持って悪に立ち向かってほしい、目をつぶらないでほしいということ、これをお願いしたいと思います。
【サプラ氏】
まず戦争にしても、制裁にしても、実際にそれが起こることによってどういうインパクトが子どもにあるのかということを我々は考えるべきだと思います。どうしてこういう話をしているかといいますと、紛争をやる、または制裁をかけるにしても、実は制裁のもともとのターゲットになる人たちには影響がない。その制裁にしても、また紛争にしても、一番大きな影響を受けるのは、結局、子どもたちであるということ。したがって、子どもありきというふうに考えるべきだと思います。
さて、第二点でございますけれども、いわゆる人道支援のスペースを守るべく、さらなる努力が求められていると私は考えています。実は最近、紛争、戦争が起こりますと、一つの戦術として、人道支援に携わっている人たちを攻撃しようという状況がかなり増えていると思います。それによって環境の危機というものがさらに悪化していると私は考えています。
それから、この点に関しまして、いわゆる治安部隊のメンバーの人たちが人道支援活動にも従事する機会が増えている。そういう状況の中で、この二つの間の境界線が非常にあいまいになっている。したがって、人道支援者の方々の危険性、脆弱性がさらに高まっているのではないかなと思います。
先ほどアグネスさんがジャンジャウィードの話をされていたと思いますけれども、人権法、人間の基本的な権利に違反した人たちに対する、いわゆる免責という考え方に我々は挑戦すべき、抜本的に見直すべきではないかなと思います。あたかも当然のことのように、略奪またはレイプを許してはいけないと私は考えます。
いわゆる子どもの兵士の徴用をできるだけ早く終わらせるということも重要ですし、今、兵士として従事している子どもたちをできるだけ早く解放するべく、努力すべきだと思います。
特に子ども、女性を対象としたスペースづくり(「子どもに優しい空間」づくり)を行う必要があると思います。そうした環境の中で、いわゆる社会化のためのさまざまな努力が求められていると思います。
できるだけ早く教育を再開するということも重要だと私は考えています。この点に関しましては、先ほどから例に出しておりますアフガン戦争後のバック・トゥー・スクール・キャンペーンを、もう一度皆様に思い出していただきたいと思います。実は子どもたちが学校に戻ることができたということは、アフガニスタンという社会が本当の意味で正常化に向かっているんだということを如実に物語っていたと私は考えています。これはただ教育効果というだけではありません。教育を通じて、アフガニスタンの場合もそうですけれども、国が、社会が一体となることができる。したがって、そういう実績を出すことによって、アフガニスタンに投資するということは、このようなリターンが、結果がついてくるんだなという認識を周りの人たちに持ってもらえると思います。
いわゆる近代戦争にかかる戦争のコストは、一日当たり20億ドルと言われています。一日20億ドルというこの戦費をもっとほかの目的に使うことができないかということをぜひ考えてみたいと思います。今、地球の重要なテーマとして、ミレニアム開発目標というものがございますが、例えば60日間戦争が起こった場合に、実際にどれだけのお金がそこで発生するのか、コストが発生するのか。実はそのコストを使えば、1年でミレニアム開発目標のコストに回すことができるという計算もございます。2015年までにすべての人に教育をというテーマがございますが、それにかかるコストは60億ドルでございます。この60億ドルというのがもし戦争に使われてしまいますと、何と3日でそれだけのコストが消えてしまいます。
この会議が始まって大体4時間になろうとしておりますけれども、実はこの時間に世界で200人の子どもたちがエイズで亡くなろうとしています。そして、200人以上の子どもたちが孤児になっているわけです。ぜひ皆さんここを考えていただきたい。この問題に対しまして、1年間にどれだけのコストが必要なのか。実は100億ドルと言われています。この100億ドルというのは戦費に直しますと、何と5日間、6日の戦争なんです。5日間、6日の戦費を使ってしまいますと、それは本当にばかげていると思います。そうではなくて、もっと意味のある方向にお金を使うべきだと私は考えています。
皆さんにぜひ問いかけたいと思います。選択肢は私たちに与えられています。そして、ぜひ我々が正しい選択を下すということを私としては期待したいと思います。
▲ページトップへ
≪問題解決への提案≫
【アグネス大使】
グローバリゼーションの子どもたちに対する影響をお話ししてくださったんですけれども、その解決方法というのは何か提案はございますか。
【東郷】
まず、日本の中で私どもがやってきたことを先ほどもお話しして、国内においては少なくとも日本から加害者的な立場に立つ人をなくしていこうと。急にまたミクロに戻りますけれども、これは非常にまた大事なことなんです。海外における加害者というのは、海外旅行者の中から出ているんです。もちろん日本の旅行業界がセックスツアーを売っているということは絶対ないと私も信じています。そのように宣言しておられます。にもかかわらず途上国における需要として、そういう力が結構強いということがありますので、実はWTO(世界旅行機構)と協力しまして、旅行業界のためのコード・オブ・コンダクト、旅行業界の中での行動規範というものをつくる一端を担ってまいりました。
これは一昨年の2003年まで、EUが経費的な負担をしてきたんですけれども、一応その期間が過ぎたものですから、にもかかわらずこのコード・オブ・コンダクトを今度は各国で実施していくためのファンドが必要なので、それを日本ユニセフ協会が肩がわりをいたしまして、そのコード・オブ・コンダクトの日本における実施というものを旅行業界と話し合いをしてきました。
実はこの3月14日にそれが結実したんです。日本でこのコード・オブ・コンダクトの発足式がありました。それで、みんなでサインしたんです。日本旅行業協会が音頭をとってくれまして、日本の主立った旅行業社60社がこれにサインをしてくれました。60社というと、日本の旅行業の数字だけ見ますと何千とありますから、少ないんじゃないかというふうに感じられるかもしれませんが、これは大手が全部入ったんです。したがって、海外旅行者に占める取り扱い量は80%を占めます。したがって、日本から出ていくお客様の80%は、これにサインして、同意した旅行業界によってカバーできる。
このコード・オブ・コンダクトのさらに大事な点というのは、日本にいる業界の人たちがそれを遵守するだけじゃなくて、海外旅行に日本の人が行きますね。このゴールデンウィークだけで60万人という、今、出ておられる方は全くこの件には関係ありませんけれども、海外に行った先で、日本の旅行業というのは現地のオペレーターという業界と契約をしているわけです。したがって、子ども買春みたいなのが起こり得るのは、オペレーターを通してということが大いにあり得るわけです。
したがって、このコード・オブ・コンダクトの中に必ず現地のオペレーターとの契約、要するにアレンジメントのための契約をしますから、その中に子ども買春に加担した場合は、この契約を無効にするということをしっかり書いてもらうという点でも同意をしてもらったということです。これはほんの一面かもしれませんけれども、私は非常に大事な一面だと思って、旅行業界との提携ができたということに非常に喜びを感じているわけです。
【品川さん】
今日すごくいいお話がたくさん聞けたので、世界で今、何が起こっているかというのはしっかりと学べたと思います。でも、ここでしようがないとか、私たちにはどうしようもないとか、そういうふうに思ってしまっては何も始まらないし、この中に多分、小さいお子さんがいるお母さんやお父さんもいると思いますが、もしもみなさんがここでしようがないとか、どうしようもないとか思ってしまったら、そのツケは全部その子どもたちに回されてしまうことになることを忘れないでほしいです。
【望月さん】
さっきあったメディアの話の続きなんですけれども、今、自分のNPOでやっていることとして、少年による性犯罪というのが今日本国内、学校の中で起こっているんです。例えば部活の中で先輩に暴行を受けたりしてしまう。もし先生にそのことを言ってしまったら、学校中に広まってしまって、自分がいられなくなってしまうかもしれないので、だからこういう性犯罪があるとどうしても表面化しなくて、ばれないことをいいことに、どんどん事件の数が増えています。さっき言っておられたように、メディアが調査してみて、それを告発してほしいと思います。
また、戦争がなぜ起こるのかというのを考えたときに、お金や領土に絡んだ争いと、宗教対立によって起きる戦争と二種類あると思います。中でも宗教戦争が起こらないようにするためには、世界の人に言いたいことは、教育をしてほしいということです。ただ教育といっても、排他的な教育をしたら余計に対立が起こってしまうと思うので、標準的な教育をしてほしいと世界の教育に関して仕事をしている皆さんや、いろんなメディアの人に言いたいと思います。
標準的な教育というのは、排他的な政治や排他的な宗教のことを教えたりせず、世界にはこういう宗教もあって、こういう宗教もあって、こういう考えを持っている人がいるんだよと教えることです。大人になってそのことがよくわかって、「自分はこの宗教を信じる。だけど、世界にはほかのこういう宗教もあるんだ」ということを理解してほしいと思います。そうすればお互いに認め合って共存していけると思います。
今、私たちにできることは、今、子どもたちが力を本当に合わせたところで、世界は劇的に変わるとは思いません。でも、とにかくどんな些細な、近所の世間話とかでもいいですから、関心を持って、それに対して自分の意見を持ってほしいと思います。
【平野氏】
戦争というのは人を殺すことなんです、あるいは人が死ぬことなんです。ですから、あなたは死にたいですか、あるいはあなたは人を殺したいですか、という問いかけをすべきだろうというのが一つです。
それから、教育は本当に大切なことだと思います。子どもの権利条約を小学生でもわかるような文章に書き改めて、すべての国で小学生に教える。それから、大人たちも一日に一回読む、あるいは一週間に一回読むくらいのキャンペーンを始めてもいいのではないかなと思います。
【サプラ氏】
この問題は他人の問題だというふうに考えるのをやめるべきだと思います。待っていればいいんだというような傍観主義者的な考え方をやめるべきだと思います。すなわち一人一人が本当に果たせる役割があるんだ、そしてそれをやらなければいけないんだという意識をぜひ持っていただきたいと思います。我々が本当に手を携えることによって、子どもたちにとってよりよい世界をつくることができると思っています。
【東郷】
途上国との格差を縮めるのには、特に経済的な面だけではないと思うんです。文化的な側面というのは非常に大きいと思います。例えば子どもの権利条約一つとってみても、西欧的規範という形でできております。日本においてもその普及というのは、ある意味では難しい面もあるのです。したがって、子どもは学校に行かなくてもいいんだと考えている国においてそれをまた普及させていくには、途上国の特にアジアの国に対して、我々はアジアの一員として彼らの心がわかるという立場において、途上国に対する権利条約の普及のための一つの触媒になれるんじゃないかという役割というのが、今後できていくんじゃないかなと。我々はそういう面もお手伝いをしていく必要があるんじゃないかというふうに考えています。
▲ページトップへ
≪おわりに≫
【アグネス大使】
今日はこうやってこの国技館にこんなたくさんの人たちが、世界の子どもたちのことに関心を持って集まってくれて、シンポジウムを一生懸命聞いてくださったことを私はすごくうれしく思うし、とても感謝しています。でも、これがポイントなんです。自分で体を運んでここまで来た。ずうっと一生懸命話を聞いた。胸が熱くなったり、泣きたくなっちゃったり、悔しくなったり、何かしなきゃというじれったさを感じたり、これが大切なんです。もしかして、これが人間の心の中で一番清らか、一番美しいものだと思うんです。
自分の心の中でうんと小さかったその種を大きくしたい、その美しい部分を大きくしたいと私はいつも思います。そのためには、世界の子どもたち、危機にさらされている子どもたちのことを忘れないこと。忘れなければいつか勇気が出てくる。勇気が出てきても、やってもやっても前進しないんじゃないかなって、あきらめたくなる日もありますが、そういう日は今日のように仲間がいっぱいいるじゃないか、ということを思い出して下さい。また勇気が出てくると思います。
私たちの強いところは一人ではないということです。でも、私たちの強いところは、一人一人自分の力を持っているから、一人一人できることがあるからなんだと思います。一人だけど強い、一人じゃないから強い。そのことがとても大切だと思います。
これからもユニセフは、皆さんの支援で一生懸命世界の子どもたちのことを頑張って応援していきたいと思います。どうぞこれからの50年、これからの100年も一緒に応援していただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
▲ページトップへ
−パネリストプロフィール
○シャラッド・サプラ
ユニセフ本部広報局長 元ユニセフ・アフガニスタン事務所代表
インド生まれ。ジワジ大学大学院(インド)にて、予防・社会医学を専攻。1980〜82年、インド医学研究評議会で予防接種の研究に携わる。1982〜83年、アマール・ジョティ・トラストに勤務。1983年7月、ユニセフ・ニューデリー事務局入り。モルディブ、ニューヨーク本部、ダッカ(バングラデシュ)、イラン、ケニア事務所時代を経て、2002年アフガニスタンに赴任。バック・トゥ・スクールキャンペーンを指揮し、300万人以上の子どもの就学を実現させた。医学博士。
○平野 次郎
放送ジャーナリスト(元NHK解説委員) 学習院女子大学特別専任教授
1940年、東京生まれ。1963年、国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。1964年、米コーネル大学政治学部大学院修了。1965年、NHK入局。放送記者、特派員を経て「海外ウイークリー」「NHKニュースワイド」などの国際情報番組キャスターを担当。その後、ジュネーブ支局長、ヨーロッパ総局長など海外で勤務。1991年、解説委員となる。「新・核の時代」「華僑パワーの挑戦」などの報道番組、「バラエティ ざっくばらん」の司会を担当。2004年、NHK解説委員退任後も、講演会・シンポジウムのコーディネーターなど広範囲にわたって活躍中。
○望月 裕太
ユニセフ子どもネットワーカー
1988年生まれ。現在高校2年生。青少年健全育成を目的とした社会貢献活動を行う、10代の若者だけで構成されるNPO「Lib!.org」を自ら立ち上げ、代表理事を務める。子どもたちが持つ柔軟なアイデアで世界を変えてゆくことを目標に、地元千葉を中心に活動を続けている。趣味は、ピアノやバイオリンの演奏、詩や小説を書くこと。
○品川 夏乃
ユニセフ子どもネットワーカー
1987年生まれ。栃木県に在住の高校3年生。中学時代から積極的に生徒会で活動をし、高校1年の頃は、学校での募金活動にてリーダーを務め、世界にいる困難な状況にある子どもたちについて学び、多くの人々に募金をよびかけた。国際協力について関心が深く、ユニセフ子どもネットワークには設立当初から参加している。特技はタップダンス。
(敬省略)
写真クレジット:
|
©日本ユニセフ協会
©日本ユニセフ協会/Nozawa
©日本ユニセフ協会/K.Shindo
|
子どもの祭典(第3部)→
|トップページへ|コーナートップへ戻る|先頭に戻る|