報告会レポート
アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使
アフリカ・レソト視察 帰国報告記者会見
■日時:
2006年4月25日(火)13:00〜14:00
■場所:
ユニセフハウス1階ホール
世界でHIV/エイズの脅威が叫ばれ始めてから20年余り。この間、HIV/エイズは「おとなの問題」として捉えられ、直接・間接的に被害を受けている子どもたちには十分な関心が向けられてきませんでした。こうした現状に国際社会の関心を向けるため、2005年10月に始まったユニセフの世界キャンペーンの一環として、アグネス大使が4月15日(土)から23日(日)まで、HIV有病率世界第3位のレソトを訪問。HIV/エイズが子どもたちに及ぼす深刻な影響を、アグネス大使がご報告しました。
■視察日程
4月17日(月)
午後:首都マセル市内、「マセル子どもの村(孤児院)」を訪問。
4月18日(火)
午後:モホトロング県モホトロング市から車で40分程のボバツィ村で孤児宅を訪問。
4月19日(水)
ボバツィ村のHIV陽性の母子家庭や孤児宅を訪問。
村のサポートグループ有志他にインタビュー。
4月20日(木)
モホトロング市内の孤児保護施設、Touching Tiny Lives(小さな命を守る家)訪問。
ボバツィ村への途中、クリニックを訪問。ボバツィ村の孤児宅を訪ね、孤児の母が眠る墓等に祈りを捧げる。
4月21日(金)
午前:セント・ジェームス学院とモホトロング病院訪問。
4月22日(土)
Good Shepherd 10代の母センター(駆け込み寺)訪問。
■アグネス大使からの報告
レソトは国土のすべてが標高1,000〜3,000メートルに位置する山岳国です。これまでいろいろな国を訪れましたが、あんなに美しい国は見たことがありません。言葉でも写真でも表すことができない、本当に美しいところでした。その小さな王国の中での大きな問題がHIV/エイズです。レソトでは、いま4人にひとりがHIVに感染しています。目に見えないけれど、確実に人の命を奪っていく、深刻な問題なのです。
レソトは経済状況が悪く、国の中に十分な仕事がありません。そのため、働き盛りの男性の半数近くが南アフリカへ出稼ぎに出ています。その男性たちが、お金だけでなく、HIV/エイズまで持ち返り、ふるさとの隅々まで広まったのです。80年代からHIV/エイズの流入が始まり、潜伏期を経て、90年代から人々が亡くなり始めました。1996年に220万人だった人口が、2005年には推定180万人にまで減少しています。さらに1991年に60歳だった平均寿命が、いまは35歳です。
17日、私たちは首都マセルにある「マセル子どもの村」という施設を訪れました。10代で妊娠して捨てられた子どもや、HIVに感染した親に捨てられた子どもなどの面倒をみている施設です。最近、ここに捨てられる子どもが増えたということでした。ここにはHIV陽性の孤児が3人いました。レソトでも、2004年から抗レトロウイルス薬治療(ART)という子どものエイズの治療ができるようになり、2人は治療を受けていました。治療を受けなければ、ほとんどの子どもは5歳まで生き延びることができません。栄養状態がよくない子どもは早くに死んでしまいます。このように、どんどん死んでいく子どもたちが、国民の4人にひとりが感染者という数字の陰に隠されているのです。
その後、医療サービス等の普及がもっとも遅れている東部のモホトロング県に向かいました。最初に訪れたボバツィ村で、63歳の女性の村長さんと話をしました。「何が一番心配ですか?」と尋ねると、「孤児が増えていることです」という答え。孤児が増えて、面倒をみてもらえずに、子どもだけで生活している子どもたちが増えているということでした。「HIV/エイズ」という言葉はみなが嫌がるので、けっして口にしません。「あの病気」「伝染病」という言葉を使います。私たちを出迎えに集まってくれた子どもたちは、みな孤児でした。
その足で、2人きりで生活している孤児の家を訪ねました。13歳の女の子と10歳の弟。3年前に両親がたて続けに亡くなり、女の子は10歳のときから弟の面倒をひとりでみてきたのです。一生懸命、お母さんの代わりを務めていました。きれいに家の中を掃除して、外に出て燃料となる牛の糞を集めて火をおこします。井戸から水を汲んでお湯をわかし、両親が亡くなる前に寝ていた部屋を何時間もかけて掃除します。その後、鍋や包丁を近所から借りて昼食を作ります。そしてまた、外に出て糞を集めて火をおこして、ということを繰り返すと、外はもう真っ暗。ろうそくがありますが、もったいないから使いません。その日は隣の家からもらったトウモロコシの粉でできた主食に、調理した野菜をかけて食べていました。食事の後、隣のおばさんの家で寝かせてもらうといいます。「前に怖い人たちが窓の外に見えたんです。すごく怖かったので、僕達はここでは寝ないんです」と。レイプされたり、エイズで親を亡くした孤児が村の外に捨てられたり、いろいろなことが村では起きるそうです。部屋の片隅には土が盛ってあり、その上に4人分の食器が並べられていました。両親が死んでから3年が経ちますが、親が今でも帰ってくるように、全部4つずつ…。
次の日も孤児の家を訪問しました。2人の弟と一緒に暮らし、面倒をみている17歳の女の子。お兄さんの奥さんは子どもが生まれてからエイズで亡くなり、その後お兄さんもエイズで亡くなりました。両親も亡くなりました。お母さんはおそらくエイズが原因です。甥っ子の赤ちゃんは結局世話をすることができなくなり、施設に預け、弟2人と生活していました。この2人の女の子には、共通点がひとつありました。2人とも、「結婚はしない、一生弟の面倒をみる」と言うのです。あんなに小さい子どもたちがおとなの役割を担わなければならない、自分の夢をすべて捨ててでも家族を守っていかなければならない、そんな状況なのです。
2日目の19日、私たちはHIVに感染している母親とその子育てを見るため、感染者の母親の家を訪ねました。その母親は、夫の死をきっかけに受けた検査で、8歳の娘とともにHIVに感染していることが判明しました。15歳と3歳の子どももいますが、その2人は検査を受けていません。私たちが訪ねると、母親は最初、周囲の差別や偏見が怖い、周りに知られたくない、と私たちに会うことを拒否しました。夫の話はしても、自分の病気の話はしません。体が弱っているから仕事はできない。食べるものにも困っているが、食べないと余計に弱ってしまう。ろうそく一本すら買えない、と。15歳の息子に検査を受けるよう勧めましたが、断られました。お母さんは診療所に一度行ったきり、その後は行っていません。診療を受け、CD4という数値が200以下になっていればレソトでは治療を受けられるシステムになっていますが、遠いところまで、8歳の子どもを連れて泊りがけで行かなければならない。ARTはさらに遠いところまで行かなければ受けられないので行けない、ということでした。
村の中には、サポートグループが出来ていました。ユニセフが政府と手を組んで、HIVの知識を村の中で広め、病気になった人たちを支援していこうという試みです。13人のメンバーは全員女性で、自分自身がHIV陽性の人もいました。男性はコンドームを嫌い、できるだけ使おうとしません。コンドームの中に虫が入っているとか、コンドームを使うと余計にHIVに感染しやすくなるといった噂があり、なかなか使ってくれない、女性のコンドームをもっと使わなければならないなど、会議ではいろいろな話し合いがなされていました。このサポートグループは希望の光だと思います。
3日目の20日、私たちは「小さな命を守る家」という、0〜5歳の子どもを預かる施設を訪れました。ここにもHIV陽性の子どもがいます。運ばれてくるときには大体死にそうな状況です。2005年から立ち上がった施設ですが、すでに何人もの子どもが亡くなっているそうです。
ボバツィ村に戻る途中、クリニックを尋ねました。クリニックは村人が最初に医療に接する場所です。週一回の血液検査が行われる水曜日には、HIV検査を受けにくる人たちがたくさん集まります。大体は妊婦の女性で、男性はほとんどきません。知りたくない、無関心という理由からです。検査を受けた人のリストを見せてもらうと、名前や年齢、そして右端の欄に「陰性」または「+」と書いてありました。「+」は陽性の印です。赤い十字架の余りの多さに、ぞっとする思いでした。
ボバツィ村に戻り、孤児を育てている祖母のお宅を訪ねました。結婚して赤ちゃんを産んだ後にエイズで死んだ娘が遺した子ども2人が預けられていました。さらに、身寄りのない子どもを2人、引き取っていました。「おじいさんおばあさんに預けられている孤児もいますが、大半の子どもは、自分たちだけで生活しています。それが問題です」とおばあさんは言っていました。だから、食べられないけれど、受け入れられる子どもは受け入れているのだと。その10歳の子と一緒に、お墓参りをしました。お墓といってもただの斜面です。墓地がいっぱいになり、新しく作ったところもいっぱいになってしまったからです。最近はあまりたくさんの人が死ぬからお葬式も出さないそうです。草がぼうぼうに生えた「お墓」で、祈りを捧げました。
村には、死ぬために帰ってきた、末期の若い女性患者がいました。3カ月前に急に体調を崩し、南アフリカに出稼ぎに出ていた夫と検査を受けた結果、感染が判明しました。彼女はどんどん容態が悪くなり、13歳の娘を人に預けて、村に帰ってきたのです。励ますといっても、何を言って励ませばいいかわかりません。何もしてあげられませんでしたが、歌が好きだということでしたので、歌を歌いました。とてもつらかった。大変な勢いで人が死んでいく村。本当に恐ろしいと思いました。
21日には、セイント・ジェイムズというミッションスクールを訪れました。600人の子どもが在籍し、グループを組んで、歌や踊り、劇でHIV/エイズのことを村の小学校などで披露し、啓蒙していくという活動に取り組んでいました。劇の内容には驚きました。子どもがお父さんにレイプされるシーンから始まり、その子はHIV/エイズになって妊娠してしまい、友だちに悪いアドバイスを受けます。「子どもを堕ろして売春婦になれば、HIVをみんなに広めることができる。復讐だ!復讐だ!」と。その子は売春婦になり、お客さんもHIVに感染し、感染が広がっていきます。深刻な内容をおもしろおかしく描いていましたが、その中に、大切なメッセージが含まれているのだ、ということでした。父親が自分の子どもをレイプすることが多い、10代の妊娠、そして不特定多数の相手と性交渉を持つことによりHIVが広まっている現状を、劇を通じて広めているのです。
その後、HIV/エイズに対する対策が進められている病院を訪問しました。まず最初は、母子感染を防ぐための対策です。妊婦さんが来るとカウンセリングを行い、HIV検査受診を勧め、承諾を得ると個人カウンセリングの後に検査を行います。ひとりの若い女性が入ってきて、私たちの目の前でHIV検査を受けることが許されました。検査はとても簡単です。検査用の紙に血液をつけ、線が2本出ると陽性、1本なら陰性です。結果が判明するまで5分。3人にひとりがHIV陽性の国ですから彼女も私もとても緊張しました。結果は陰性でした。この5分は、私の一生の中で一番長い5分間でした。
ARVという抗ウイルス剤を使った治療の現場も見ました。いま、レソトで治療を受けている子どもは200〜300人ぐらいですが、薬を必要としている子どもは数千人にのぼるともいわれています。おとなは1万人ほど受けていますが、国民の4人にひとりが感染者ということを考えると、まだまだ少数です。ユニセフやクリントン財団などによる活動の結果、製薬会社の理解を得ることができ、薬の価格は安くなりました。一年間で、おとな140ドル、子ども220ドルで治療を受けられます。病院のお医者さんは言っていました。「これはもう死の病気ではありません。糖尿病など、薬を一生飲まなければならない病気と同じ、慢性的な病気のひとつです」と。
最終日の22日は、10代の母子センターを訪れました。20歳までの29人の母親と29人の子どもたちがいました。3日前に子どもを産んだ19歳の女の子もいました。HIV陽性でしたが、帝王切開で母乳も与えていないため、おそらく赤ちゃんには感染していないだろう、との話でした。適切な対応を取らない場合、35%の確率で母子感染が起こりますが、適切な対策を行えば感染率を大幅に減らすことができるのです。
小児病棟のなかで、とても弱った7歳の子どもがいました。その子は両親を立て続けに亡くしておばあさんと一緒に暮らしていました。おそらくエイズですが、レソトでは、親の許可がなければ18歳以下の子どもにHIV検査をしてはならないと法律で定められています。その場でおばあさんを説得して、許可のサインをしてもらいました。検査をして治療を受ければ助かるかもしれないと、お医者さんはとても前向きでした。私たちは、日本の子どもたちから預っていた千羽鶴をあげて、皆で回復を祈りながら病院をあとにしたのです。
レソトではユニセフはNGOや政府と協力しながら熱心に頑張っています。ただし、資金が必要です。抗レトロウイルス治療の普及、啓蒙キャンペーン、食糧支援も含めた孤児の支援、今後患者や感染者を増やさないための予防キャンペーン、子どものHIV検査受診を容易にする法律の改正、妊婦のHIV検査の義務化、子どもの感染者の早期治療、治療研究の推進など、やることはたくさんあります。
エイズは子どもの将来を、国の将来を壊します。でも、HIV/エイズは完全に防げる病気です。沈黙、偏見、無関心が病気を広めてしまうのです。けして差別されるような病気ではありません。静かに人の命を奪っていくこの病気。私たちは語り合うことから始めていかなければならないと思います。
写真:(C)日本ユニセフ協会
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