アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使
ユニセフシンポジウム 子どもの権利条約採択満18年記念「取り残される子どもたち」にご来場の皆様、こんばんは。アグネス・チャンです。ほんとうです(笑)きょうは、皆さんの前でムンバイの報告ができることを、ほんとうにとても楽しみにしていました。
今回、ことしの六月にまいりましたけれども、ムンバイという街で、スラムをまわって子どもたちに出会うことは初めてでした。私のイメージも、先進国ですごく進んでいるところ、特にムンバイというのは、インドの中で一番豊かなまちだ、一番いいまちだと聞いていましたので、そういう気持ちで参りました。ところが、全くイメージと違っていました。
インドに関する統計を見てみると、インドはユニセフから一番支援金をもらっている国です。それには私もびっくりしました。なぜか。子どもたちの数が多いからです。4億2千万人も18歳未満の子どもたちがいるんです。その子どもたちの現状はどうなのかというと、生まれてきた子どもたちの35%しか登録していないそうです。要するに、65%の子どもは登録されていない。そういう子どもたちの多くは、ちゃんとした病院では生まれていないということになります。
学校に行ける子どもたちで小学校を卒業できる子どもたちは、4人に1人。実は、インド政府も教育にすごく力を入れようということで、私たちもよく、算数がよくできる、とても賢い子どもが多いと聞きますよね。でも、残念ながら、小学校を卒業できる子は4人に1人ですから、25%です。75%の子は小学校を卒業していない。たくさんの子どもたちが、実は学校に行っていないということです。だから、私たちが触れている、聞いている話は、ほんの一部のインドの子どもたちのことです。
そして、半数の子どもたちは栄養不良です。思春期になると、95%の女の子が貧血です。それは、ちゃんと栄養があるものを食べていないということを示しているのですが、もう一つは、やはり男女の差があるのではないか、女性がこの国の中ではまだまだ不利な立場にあるのではないかと、数字からわかりますよね。
インドは、子どもが働いている児童労働の絶対数が世界で一番なんです。子どもたちがたくさん働いているということなんです。それはつまり、親がちゃんと子どもたちを養えないという状況です。だから、子どもたちが働かなきゃいけないということになってしまいます。
今、インドには11億人が住んでいて、ミドルクラスがすごく増えていると言われているそうですけれども、その中流と言われる人たちは、10億人の中で8千万人いると聞いています。1割いないんです。その一方、人口のおよそ三分の一の人たちは、一ドル未満で毎日生活しています。ムンバイに訪問しても、それが見えてくるわけです。インド映画のなかの世界や、最近のインドの報道されているような良い生活をできる人は一部です。
私がムンバイに着いたときにびっくりしたのは、高層ビルが立ち並んでいるのかなと思ったら、上空から見た街の様子は、ほとんどスラムでした。NGOのスタッフの話によると、50数パーセントから70パーセントの人たちは、スラム街に住んでいるということなのです。ムンバイのスラム人口は、聞く人みんな違う数字を言うのです。正式な数字はないようです。地方からどんどん出てくるようで、1600万人から1800万人、または、1700万人、2000万人と、すごく変動するのだそうです。
私は、毎日スラムを歩きました。そこで会ってきた子どもたちの話をすれば、スラムがどういう状況なのか、皆さんにお伝えできるかもしれないですね。
スラムに入るのはちょっと大変です。ごみも多い。ごみの山になっているところもあります。ハエはもちろん、カラスやヤギや犬や猫も集まってきます。それを避けながら歩いていかなきゃいけない。においもかなりきついです。そのなかでたくさんの子どもたちが遊んでいます。食べている、用を足している、お母さんが洗濯している、笑っている子ども、泣いている子ども・・・。とてもにぎやかなスラムです。スラムにある道はすごく狭いので、身をかがめて歩いていきます。
その中で、私はたくさんの子どもたちと友達になりました。その中の一人がチャンダンという子ですけれども、彼は今、13歳で、9歳のときにお母さんが亡くなりました。それで、お父さんが家を出ていってしまいました。家族にはお姉ちゃん、弟、妹がいます。その家族を助けるために、車を洗う仕事を始めたのです。その仕事は自分で考えついたみたいですけれども、彼が住んでいるスラムの外に出れば、リクシャーという、三輪車のタクシーみたいなちっちゃい車の運転手が、車をとめて仕事に行きます。そこで「洗わせてください」と、その車を洗ってお金をもらって、何とか生活しようとします。たまには、高いところに上って、電球をかえたりする仕事もするんですけれども、そういった仕事はあまりないそうです。仕事がたくさんできた時は、日本円にして300円とか、600円を稼げる。一日、何も仕事がないときもあります。
チャンダンは、お母さんやお父さんがいたときは学校へ通っていました。今でも学校へとても行きたいそうです。でも、毎日働かなきゃいけないし、半年で、日本円にしたら2700円かかる。その2700円がないから、彼は学校へ行くことができないのです。彼は朝6時、5時に起きて、仕事場へ行きます。私も一緒に行ったんですけれども、朝、彼と同じぐらいの子どもがどんどん通って学校へ行く姿が見えます。でも、彼は行けないんです。学校へ行くための2700円がないのです。
毎日食べることができないとまではいかない状況であっても、子どもたちは働いています。でも、チャンダンは違法です。実は、インドでは、14歳以下の子は絶対働いちゃいけない、雇ってはいけない。捕まったら罰金が課せられるそうです。子どもが罰されるのではなくて、雇った人が課せられるのですが、それでも周りの人たちは子どもに仕事をさせるんです。これは大きなジレンマだそうです。チャンダンみたいな子がもし働けなかったら、一家が食べられなくなって、生活ができなくなりますから、周りもそれをわかっているせいで、つい頼んでしまうのです。
家を出て行ったチャンダンのお父さんが、実は私たちが訪ねる4か月前に戻ってきたそうです。そして、ちょっと調子が悪いといって検査しに行ったら、HIV/エイズにかかっていたそうです。だから、今、チャンダンはお父さんの体のことも心配しなきゃいけない。もしかしたら九歳のときに亡くなったお母さんもHIV/エイズだったのかな・・・と思うのです。インドは今、南アフリカに次ぐHIV/エイズの患者数が多い国です。そういう働き盛りのおとながどんどん死んでしまうと、チャンダンみたいな子はみんな、親に面倒を見てもらえず、自分たちの力で何とか生活していかなきゃいけなくなってしまいます。
でも、チャンダンはまだいいほうです。きょうだいがいるから、なんとか働くことができて、時々はおなかいっぱいにも食事できる。その一方で、道端にはたくさん子どもたちがいることに気づきました。夜になると、どこからか子どもたちが現れます。そして、ちょっとでも屋根のあるところに、すき間なく横たわって寝ます。駅に行くとびっくりします。ストリートチルドレンじゃないんです。ストリートピープルです。バイクの下にもぐりこんで寝る子もいます。雨よけになるからです。ストリートピープルの数は、皆よくわからないと言うのですが、NGOの人は、少なくとも身寄りのない子どもたち、親と一緒にいないで外で寝ている子は20万人いると話しています。
そこで、私たちは一人の少年と会いました。リンクーです。13歳。今度はお父さんが死んで、お母さんが子どもたちをおいたまま家を出て行ってしまいました。お姉ちゃんと一緒に生活していたんですが、お姉ちゃんが嫁いで、その夫がリンクーに暴力をふるうのです。ご飯も食べさせてもらえない状況になり、彼は三日間かけて、電車の中に隠れて、ひとりでムンバイにやってきました。
でも、結局、路上で生活するしかない。最初はほんとうに苦労したらしいです。でも、そのうちに彼はお友達ができた。目の見えないおじいさんです。彼は、その目の見えない、道端でお金をもらって生計を立てているおじいさんの面倒を見るようになった。そのおじいさんには仲間がいます。1人はハンセン病の少年、1人は足のないおじさん。4人みんなそれぞれ大変なんですけれど、助け合って生活していました。リンクーも帰るところがない。リンクーは、唯一の家族をムンバイの道端で見つけたのです。
リンクーはすごい咳をしていました。皆さん、ご存じのように、世界で子どもたちの命を奪ってしまう大きな原因の一つは、肺炎・気管支炎です。薬がない、医者のところに行けないで、死んでしまう子がたくさんいます。ストリートチルドレンにとって、そういう病気にかかるのが一番怖いことなのです。伝染病にかかってしまい、助けも求めることもできないと、そのままある日突然弱って、死んでしまう。私はリンクーのことも、とても心配しました。
さらに、私はプージャという女の子と会いました。その子はスラムの中で生活している子なんですが、10歳のときにお母さんが、お父さんの暴力に耐えられず、一番下の子を連れて田舎へ帰ってしまいました。そうしたら、プージャは学校に通い続けることができなくなり、ずっと家事をさせられました。プージャは14歳。お母さんが家を出ていってしまってからは、お父さんは彼女に暴力をふるうのです。どういう暴力だったのでしょうか。叩かれたりするような暴力なのか、それとも性的な暴力なのか、私はプージャに聞くことができませんでした。
プージャは年下のきょうだいたち、お父さん、おばあさんの面倒を見ているから、学校には行けなくなりました。お父さんは、「女は学校に行かなくていい、行っても損するだけだ」と話しているのだそうです。
私がプージャと話をしていたら、プージャが突然「実は、私、あした家出するんです」と言ったのです。私は「ここで話したら、みんなに聞こえちゃうんじゃない?」と言いました。彼女は本気でした。何とかお母さんのふるさとに行きたい。きょうだいを連れて行くんだと話しました。結局、プージャはその日は行くことができませんでした。でも、その一週間後、スタッフが再びプージャを訪ねたところ、お母さんのところへ行くことができたそうです。
スラム街の中では、プージャのような子どもたちがいます。スラム街の中ではチャンダンのような子もたくさんいます。路上にはリンクーがいっぱい暮らしています。路上には、夜眠っていて、朝になっても起きあがれない人もいます。そのまま亡くなっていたり、病気になっているというような状況です。
その一方で、ムンバイには大金持ちがたくさんいるそうです。そういう人たちは、どんな気持ちなのだろうと考えてしまいました。
スラムの中でも家賃を払わなくてはいけません。先にスラムに入った人たちは、地主になることができます。そして、家賃をとって人を住まわせるのですから、家賃を払えない人は追い出されます。追い出された人たちがつくった、新しいスラムで、若い父親、母親と出会いました。二人の子どもがいました。1歳と3歳です。カーストの問題もあって、彼らにはできる仕事がありません。なかなか見つかりません。毎日、毎日、日雇いの仕事をその日暮らしで続けているのですが、ゴミの処理とか、下水道の仕事しかないそうです。二人はそろって仕事に出かけていってしまいます。
1歳、3歳の子は、二畳半ぐらいのほんとうに小さな小屋の中で寝ています。収入があった日は、一食食べることができます。仕事がない日は、おなかがすいても、みんなで我慢するのだそうです。一歳の子の体重は4キログラムです。子どもが生まれたときは、すでに2〜3キログラムですから、ほんとうは一歳ぐらいの子は9キログラムぐらいになっていなくてはならないはずです。4キログラムは、その半分ぐらいです。3歳の子はまだ喋ることができません。その子の体重も9キログラムです。もう極端な栄養不良です。満足に食事ができない人がたくさんいます。昨日は食べることができたけど、今日は食べることができない・・・というような状況です。
お父さんに、「一番の楽しみは何ですか?」と質問しました。私はきっと「子どもの成長よ」と答えてくれるだろうと思っていたら、「何にもない」のだそうです。「私も8歳でお父さんについてムンバイへやって来た。でも、今28歳。前と全く同じ生活。良くなることなど無い。何にも楽しいことなどない」と答えたのです。
お母さんに同じ質問をしたら、お母さんは、大きいため息をして泣き出しました。農村の貧困と、街に住んでいる人たちの貧困は違うものです。農村は、ひどい干ばつがあっても、いつか再び大地から恵みを受けることができます。川、海、山に行けば、食べ物を採ることができます。
でも、街ではそういうことができません。自分の力だけが頼りです。働かなければ、食べることができないのです。もし働くことができない場合はどうなるんですかと私が現地の人に聞いたら、仕方なく、男の人は血を売ったり、内臓を売ったり、女の人は体を売ったり、子どもを売ったりするのではないか、ということです。どうでしょう。日本に住む私たちにとっては想像ができないような、貧富の差の現実です。取り残された子どもたちがインドへ行けばいっぱいいます。でも、インドだけではありません。今日、これからのシンポジウムを通じて、今まで私が見てきた取り残された子どもたちの姿を、皆さんにも知ってもらいたいです。そして、どうすれば一人でも多く、一日でも長く、そういう子どもたちが生きることができるのか、皆さんと一緒に考えてまいりたいと思います。
私たちは日本というすごく恵まれている国に生活していますから、なかなか他の国で苦しんでいる子どもたちの姿を知ることができないと思います。こうやって現地を視察し、子どもたちとお友達になって、こうして皆さんに彼らの話ができたのは、ほんとうにうれしく思います。どうか、プージャやチャンダンとリンクーを忘れないでください。そして、世界のは貧富の差で苦しんでいる子どもたちがいっぱいいることも、忘れないでいただきたいと思います。ありがとうございました。 |