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井本さんの新聞記事を読んだあきる野市立西中学校の子どもたちが、同校での出前授業の願いを綴った手紙を送ったことにより実現した今回の学校訪問。会場となった同校体育館には、「ようこそ!井本直歩子さん!」と書かれたウェルカムメッセージが飾られ、2年生約100名の子どもたちが出迎えてくれました。そして、子どもたちから歓迎の気持ちを込めた歌もプレゼントされました。 「みなさんこんにちは。素晴らしい歌をありがとうございます。胸がいっぱいになって頭が真っ白になってしまいましたが、頑張って話します。
私は、ユニセフ・ハイチ事務所の教育担当官として現在活動しています。2010年1月、ハイチを大地震が襲いました。もう震災が起きてから2年以上経過しましたが、約50万人もの人々が今なおテントでの生活を強いられています。仮設施設も土地も足りません。コレラが蔓延していて、手を洗わないでいると瞬く間に伝染して、たくさんの人が亡くなっています。また、ハリケーンシーズンになり、毎晩たくさんの雨が降るのです。そうすると、その水から感染してしまいます。 学校に行っていない子どもも半数くらいいますし、病院もありません。学校もお金があればいけますが、多くの子どもたちは月に100円くらいの学費が払えずに学校に行けないのです。どうしたら一時一時の感情に流されず、この状況がよくなるかを、貧困がなくなるかを考えています。
どうしたら彼らの職が見つかるか、どうしたら子どもたちが予防接種を受けられるか、長期的な視野で、どうやって成長していくかを考えて活動しています。 ハイチ地震の被災地に初めに行ったときは、本当にぼろぼろで、津波はありませんでしたが、建物が日本と違って脆弱なので、ぐしゃぐしゃに崩壊していました。22万人もの方々が命を落としました。学校があった場所もわからず、リストもなくて、とても大変でした。まずは学校があった場所を探し出して、そこにテントを配って、仮設を設置して、一日でも早く学校が再開できるように支援をしました。 ハイチの人は、生きようという気持ちがものすごく大きくて、生きることそのものに対する意欲が強く、長く生きようとか、子どもたちを死なせないようにしようという気持ちが私にも伝わってきて、それが私の力にもなっています」
また、自身のオリンピック出場について、次のように話してくれました。
4歳のときからオリンピックで金メダルを獲りたい!という夢に向かって進んできた井本さんですが、海外の選手の様子を目にして、徐々に開発途上国のことについて考えるようになったそうです。
「最初に思ったのはみんなと同じくらいのときです。海外遠征が毎年のようにあって、そのときに、自分がすごく恵まれていると思いました。
例えば海外の試合に出て、貧しい国から来た選手がたくさんいます。私のチームメイトたちは早い選手ばかり見ていて、でも、私はなぜか貧しい国から来た選手が好きでした。そういう国の選手をみて、どういう練習しているのかな、ゴーグルかけないのかな等と思っていました。
井本さんの話は、東北での支援活動へと続きました。 「いくつになっても、できるだけ多くの子どもたちがよりよい教育を受けられるような仕事を一生やっていきたい。これからの人生は、人のために役立つことをして生きていきたいです」と締め括りました。 写真クレジット全て:© 日本ユニセフ協会 |