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マダガスカル:
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マダガスカルの小さな村、ラハヌシに向かう道はすべて水に浸っていました。首都につながる主要な道路でさえ浸水し、収穫した作物を田畑から運ぶことができなくなっていたのです。
サイクロンの季節を迎えた小さな村に、雨が激しく打ち付けていました。豪雨に見舞われ、農家の人々は自宅から避難していました。農業を営むヘレン・アスアママタニさんも、自宅や作物が被害を受けたため、息子の家に身を寄せています。「息子の家に避難しています。家が小さいうえ、息子は9人の子どもを養っているので、あまり息子を頼りたくはありません」(ヘレンさん)
© UNICEF/NYHQ2015-0295/Matas |
学校で授業を受けるヘレンさんの孫娘、ティアビナさん。 |
ヘレンさん一家にとって、食事を毎日取れないことも稀ではありません。孫娘のティアビナさん(12歳)は、お腹が空いて、学校の授業に集中できないといいます。「授業についていくのは大変です。家で十分に食事を取ることができず、お腹が痛くなることがあります。両親が働いていないときは、十分な食料を手に入れることができません」
マダガスカルでは政治危機や経済の低迷が長期にわたって続いており、ティアビナさんのように生活に苦労する家族がいます。
© UNICEF/NYHQ2015-0314/Matas |
自宅で食事の準備をするサホーンさんと3歳の子ども。 |
2013年、人口の91%が1日2米ドル未満での生活を強いられているマダガスカルは、世界で最も貧しい国の一つとして知られています。そして、その影響を最も受け、危機の矢面にさらされているのが子どもたちです。
ティアビナさんの両親は米を栽培していますが、食料や衣服、子どもたちの学費を賄うため、母親のサホーンさんは麻でロープを編む仕事もしています。マダガスカルでは、小学校の学費も両親たちが負担しなくてはいけません。
サホーンさんは、ユニセフが支援する栄養センターを定期的に訪れ、2人の幼い子どもたちの栄養状態の検査を受けています。このセンターでは、栄養バランスのとれた食事の作り方も教えています。サホーンさんは、子どもたちには色々な種類の食事を食べさせてあげたいと願うものの、学費を払った後に残る生活費は、いつも十分ではありません。「生きていくには、多くのお金がかかるのです」と、サホーンさんが話します。
© UNICEF/NYHQ2015-0322/Matas |
ユニセフが支援する栄養センターで4カ月の娘の栄養状態の検査を受けるサホーンさん。 |
食料が十分に手に入らないということは、マダガスカルの家庭では決して珍しいことではありません。「マダガスカルでは、5歳未満児の半数近くが発育阻害に陥っています。つまり、身体と脳の発達に必要な栄養のある食事をとることができていないのです。また、安全な飲み水を手に入れることができない国第4位という現状が、事態を悪化させています」と、ユニセフのエルケ・ヴィッシュが語ります。
サホーンさんのような家族は、食事や教育のためのお金を工面することに苦労しています。マダガスカルは構造的貧困や長年教育に対する支援が行われてこなかったこともあり、ミレニアム開発目標2に定められている、普遍的初等教育の達成が難しいとみられています。そして、2005年に83%だった純就学率は、2012年には69%にまで低下しています。
サホーンさんは麻の繊維を使って、ヘビのようなロープを上手に作りながら、「子どもたちを卒業させられるか、とても不安です」と、悲しげに話しました。
© UNICEF/NYHQ2015-0281/Matas |
小学校で児童と会話をするムスクーリ親善大使。 |
世界的歌手であるナナ・ムスクーリ・ユニセフ親善大使が、住民たちが直面している問題に光を当てるため、マダガスカルを訪問しました。「ユニセフの親善大使として世界中の多くの地域を訪れ、子どもたちの置かれている状況を目にしてきました。マダガスカルの子どもたちが直面している問題は、そのなかでも心が痛むものです」(ムスクーリ親善大使)
マダガスカルの人々は、さまざまな問題に直面しています。貧困だけではなく、ヘレンさん一家のように、住民の生活に異常気象による影響が出始めています。マダガスカルで暮らす家族は、食事か学校かという厳しい選択を強いられ、子どもたちは授業を受けながらも、空腹に耐えなくてはいけないのです。
「取り上げられることがない、マダガスカルの人々が直面する困難な状況に目を向けなくてはいけません。そして、子どもたちだれもが、安全な環境で育ち、教育を受け、栄養のある食事をとることができるように支援しなくてはいけないのです」(ムスクーリ親善大使)
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