2023年6月7日東京発
日本ユニセフ協会は、G7富山・金沢教育大臣会合(2023年5月12日~15日)の開催を前に、5月10日、「G7富山・金沢教育大臣会合応援事業」として、シンポジウム 「子どもたちのウェルビーイングをどう高めるか?~教育現場での子どもの権利の実践を通じて」をオンラインで開催しました。
第一部:子どものウェルビーイングをどう測るか ・文部科学省 里見朋香 大臣官房審議官(総合教育政策局担当) 第二部:子どものウェルビーイングをどう高めるか ・兵庫県立大学 竹内和雄教授 |
ユニセフの報告書「レポートカード16」のテーマでもあった子どものウェルビーイング(幸福度)は、子ども政策に関わる様々な動きがある今、大きな関心を集めているテーマの一つです。専務理事早水研は開会挨拶でそのことにふれ、シンポジウムを開会しました。シンポジウムではまず、文部科学省の次期教育振興基本計画におけるウェルビーイングの検討状況について、ご担当の里見朋香 大臣官房審議官(総合教育政策局担当)にご説明いただきました。
■ 次期教育振興基本計画におけるウェルビーイングの検討状況について
文部科学省 里見朋香 大臣官房審議官(総合教育政策局担当)
里見審議官は、教育基本法に基づいて今後5年間の国の教育政策全体の方向性や目標、施策などを定める教育振興基本計画の次期計画に関し、中央教育審議会で示された答申では目標として、「持続可能な社会の創り手の育成」および「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」という2つの柱が掲げられていることを紹介。平成20年から策定されている基本計画の中でウェルビーイングが含められるのは初めてで、あえてカタカナとし、「身体的・精神的・社会的によい状態にあること」「短期的な幸福のみならず、将来にわたる持続的な幸福を含む」「個人を取り巻く場や社会がよい状態にあることも含む包括的な概念」等と定義されていると説明しました。
次に、OECDによるウェルビーイングの指標にふれ、「自分の人生には明確な意義や目的がある」「あなたは最近の生活全般にどのくらい満足していますか」等の主観的幸福度の指標の結果が低くなるために、日本の子どもたちのウェルビーイングが低いという結果になりがちだが、これらの質問は、日本人の感覚ではおとなでも自信をもって答えるのが難しく、文化的背景の影響があるのではないかとの考えを示しました。そして、国の議論でも使われた資料を示しつつ、「人生の満足度」の尺度では日本・韓国はどうしても低くなるが、「自分だけでなく、身近なまわりの人も楽しい気持ちでいると思う」などの「協調的な幸福」の尺度では、欧米と比べてもそん色がないという結果を紹介しました。
発表資料より
ウェルビーイングに関する国際比較調査
これをふまえて次期計画では、自己肯定感や自己実現などの「獲得的な要素」と、人とのつながりや社会貢献意識などの「協調的な要素」を一体的に育むことを、「日本社会に根差した調和と協調に基づくウェルビーイング」であると考え、教育を通じてこれを向上させ、また、国際的にも発信していきたい、と述べました。
また、子どもたちの主観的な認識をエビデンスで把握しようとしていることも計画の新しい点であるとし、さらに、これまでは子どものウェルビーイングを高めるためには教師はがんばって我慢するという考えがあったが、次期計画の中では、教師のウェルビーイングも大切に考えている(図)、と述べました。
これに対し、モデレーターを務めたイノチェンティ研究所のAmanda Marlin(アマンダ・マーリン)は、グローバルなデータを分析しローカルな文脈で解釈し、さらに政策につなげるという大変興味深い事例で、他国からも注目されるだろうと述べました。
■ 教育と子どものウェルビーイング
ユニセフ・イノチェンティ研究所 Gwyther Rees(グイザー・リーズ)
続いてレポートカード16の著者の一人でもあるユニセフ・イノチェンティ研究所のグイザー・リーズが、ユニセフの考えるウェルビーイングについて説明しました。
まず、ウェルビーイングは文化的背景や年齢によって異なるもので、研究途上のテーマでもあるため、ユニセフとして一律の定義はないと前置きした上で、レポートカードシリーズで最初にこのテーマを扱った「レポートカード7」(2007年)では、7つの分野(物質的、健康・安全、教育、家族・友人、行動・リスク、主観的)に分けてウェルビーイングを分析したことを紹介しました。
そして、同様の枠組みの「レポートカード11」(2013年)を経て、「レポートカード16」(2020年)ではさらに発展させ、ウェルビーイングの要因と結果に分けて分析したこと(保健サービスという「要因」ではなく、子どもの健康状態という「結果」の方を指標とするなど)、子どもを中心に置き、子どもに身近な世界からより大きな政策まで広げて考える分析の枠組み(図)を導入したことを説明。OECDによる子どもウェルビーイングの調査は、ユニセフの枠組みを参照したものであることにも言及しました。
また、この枠組みを教育にあてはめると、学校は子どもの精神的幸福度、身体的健康、スキルのすべてにおいてもちろん役割があり、遊びや運動といった子どもの行動や、いじめなどの人間関係、先生の数などの教育のリソース、学校と保護者の関係、教育政策・支出、社会が教育をどうとらえているのかという価値観の話まで、多層的に考えることができると述べました。
そして、精神的幸福度38カ国中37位という日本の順位にふれながら、レポートカード16では生活満足度と自殺者数を精神的幸福度の指標としたが、それがベストの指標だと考えているわけではなく、多くの国のデータがあったのがこの指標だったからだと説明。現在も、子どもの心理的ウェルビーイングについて、自律性(「自分の時間の使い方について十分選択できる」)や人間関係(「まわりの人は自分に親切だ」)などの指標をテストするなど、リサーチを続けていることを紹介しました。
また、ウェルビーイングは比較的新しい研究分野であって、欧米を中心に進められてきたモデルありきではなく、異なるアイディアを交えて国際的に議論することがとても重要であると強調しました。
■ 「調和と協調」に基づくウェルビ-イング
京都大学大学院教育学研究科 Jeremy Rappleye(ジェルミー・ラプリー)准教授
次に、日本の教育をテーマにウェルビーイングの研究に携わり、中央教育審議会の委員を務める京都大学の内田由紀子教授とも共同研究を行われている、京都大学大学院教育学研究科のジェルミー・ラプリー准教授に、「調和と協調に基づくウェルビーイング」の考え方について、詳しく説明していただきました。
ラプリー准教授は、まず、ウェルビーイングは幸福とよく混同されるがより深い意味があること、また、その意味は文化的背景によって異なるという点に注意する必要がある、と話しました。 幸福は「今、楽しいこと」が中心で、将来の展望まで含めたとしても個人的な状態であるのに対し、ウェルビーイングは、他者との関係や利他性等を含むより包括的な考え方であると説明。
さらに、朝起きた時自分がどう感じているかは、同僚の状況、さらに(例えば残業が多い等)職場の状態にも左右されるという例を挙げ、自分・他者・社会でウェルビーイングが循環すると考えることもできると述べ、個人のいる「場」にフォーカスすることが重要であると強調しました。
次に、文化とウェルビーイングの関係について、北米では、個人の自由と選択や幸福の「最大化」が重視される「獲得的な幸福観」である一方、日本では、他者とのバランスや個人をとりまく「場」が重視される「協調的な幸福観」であることを紹介(表)。日本型ウェルビーイングの話をすると、日本の順位が低いことへの言い訳ではないかという意見があることは残念で、この分野は長年の研究の積み重ねがあり、協調的幸福観は世界でも取り入れられ始めていて(「World Happiness Report 2022」等)、日本以外にも「日本的」ウェルビーイングがあてはまる文化はあるはず、と述べました。
そして、協調的幸福感を教育の場で活用していくための指標として、「学校生活が楽しい」「自分のまわりの人々を楽しませていると思う」「学校や地域、社会で人の役に立つことをしたい」などを紹介し、最後に、1)日本的、欧米的の2つの考え方は、どちらかを選ぶのではなく、両方を合わせて真にグローバルな考え方を構築すべき、2)外向きのランキングや評価ではなく、自分たちの学校や地域でのウェルビーイングは何かを考えることが重要、3)子どもたちや現場の声をきいて、学校現場をよくしていくことにつなげるべき、と話を締めくくりました。
パネルディスカッション
アマンダ・マーリン(モデレーター)、里見朋香審議官、グイザー・リーズ 、ジェルミー・ラプリー准教授
子どもたちの声をどのように聴くのか?
アマンダ:ウェルビーイングについて子どもから集めたデータが足りないと思いますが、どのように子どもの声を聴けばよいと思いますか?
里見審議官:日本ではこども家庭庁ができて、子ども・若者から直接声を聴く取り組みが進められていますが、次期計画の答申を作る過程でも子どもの声を聴きました。また、今後次期計画を実施する中で、子どもたちのウェルビーイングがどう変わったかをみるために、小学校6年生と中学校3年生を対象に、毎年実施している全国学力・学習状況調査の中で、子どもたちに直接質問に回答してもらうことにしています。
グイザー:子どものウェルビーイングは何なのかということが、おとなだけの議論になってはいけない、そのため、調査をデザインする前に、子どもの意見を取り入れることが重要だと思います。
ラプリー:コンサルタントとしてユネスコのアジア太平洋地域のハッピースクールプロジェクトに関わった時、子ども自身が何をハピネスと考えているのかを知らずにプロジェクトはできないと考えました。ただ、子どもたちはたくさんの経験があっても、必ずしもそれを表現できる語彙があるとは限らない。そこで、おとなが一緒にマッピングしながら、子どもたちが考えを整理するのを助けることで、子どもはより正確に調査に答えられるようになる。おとなは、聴き方を改善するほかに、ウェルビーイングについてどう考えるのか子どもたちに教えるという役割もあると思います。今日の議論の関連では、何がウェルビーイングなのか、それは友だちの幸せとも関係があるのかなど、子どもたちとマッピングすることができると思います。
教育におけるウェルビーイングで、重要なことは?
アマンダ:教育に関連してウェルビーイングを考える上で重要なことは何だと思いますか?
ラプリー:日本の子どもは自尊心が低いなどと言われますが、日本の先生たちと関わる中で、それを高めるための取り組みが行われていることを知りました。先生が生徒たちに、シャワーのようにほめ言葉を伝えるというものです。先生がほめることから、生徒同士がほめることにシフトしている先生もいらっしゃいます。今日の議論の、他者との関係がウェルビーイングに大切ということからも、先生なしでもそういうことがおきる「場」を作るということは、すばらしいと思います。
グイザー:いろいろありますが、学校における子どもの参加を挙げたいと思います。子どもの参加は、「子どもの権利条約」にも書かれています。人間関係がウェルビーイングにとって重要であると考えると、学校での生徒と教師の対話や、学校での意思決定への子どもの参加がとても大事だと思います。
里見審議官:学ぶということは必ずしも楽ではなく、子どもは自分にとっての利益や社会にどう役立つかもよくわからない中で学ぶことが多いと思いますが、実はこの学びが、自分の幸せや、将来の自分たちのウェルビーイングな社会につながっていくという感覚をもつことができれば、教育としては成功なのではないかと感じています。
最後にアマンダが、日本的か欧米的かを選ぶのではなく、両方を合わせて考えることがとても重要で、そのことで今日の議論も深まったと述べると、里見審議官が発言を求め、今日の議論も踏まえてG7教育大臣会合でウェルビーイングの考え方をしっかり発信していきたい、と述べました*。
(*5月14日に発表されたG7富山・金沢教育大臣会合の「富山・金沢宣言」には、教育を通じた子どもたちのウェルビーイングの向上や、教師のウェルビーイング、調和と協調に基づくウェルビーイングなどの内容が含められました。)
後半は、「子どものウェルビーイングをどう高めるか」というテーマで、日本の教育現場の取り組みに焦点をあてました。
■日本の教育は転換点に
兵庫県立大学 竹内和雄教授
初めに、中学校と教育委員会で25年以上生徒指導に関わり、文部科学省で有識者会議の座長を務め、「生徒指導提要」の改訂にも執筆協力者として関わった兵庫県立大学の竹内和雄教授より、日本の教育の現状についてお話しいただきました。
竹内教授は、日本の教育が2つの面で歴史的な変革期にあることを説明しました。
まず、学習指導要領で定められる学習指導においては、教え込みから、「子どもたちが主体で対話的な深い学び」に変わってきていること。また、生徒指導提要に基づく生徒指導については、かつて日本の学校が荒れていた時代からの概念で海外には伝わりにくいが、としつつ、「暴れる生徒を制圧する」というマイナスのイメージから、「自己指導能力の育成」、子どもたちが自分たちの力でやっていくという方向に変わりつつあり、その中で、校則を子どもたちで見直していく動きもある、と述べました。
そして、そういう時期にあって、「子どもの権利条約」の理念と学校の現場は強く共鳴しているが、現実にはなかなか難しい面もある、と話しました。
■子どもの権利を大切にする教育
日本ユニセフ協会 学校事業部 池田礼子
続いて、日本ユニセフ協会学校事業部の池田礼子から、ユニセフが推進している「子どもの権利を大切にする教育(CRE:Child Rights Education)」を紹介しました。
まず、CREは、子どもたちが一日の大半を過ごす学校で子どもたちの権利を守る環境づくりを推進するもので、「すべての子どもに学ぶ権利があること」、「子どもの権利について学ぶこと」、いじめや差別がなく、子どもたちの声に耳を傾けるなどの「子どもの権利を尊重した学びの環境を整えること」、他者の権利にも目を向けることで「社会に貢献する力を養うこと」という4つの側面があると説明。すでに15年ほどこの取り組みを行っているヨーロッパの国々では、ウェルビーイングの向上にもつながるたくさんの効果が明らかになっていることを紹介しました(表)。
そして、日本では3年ほど前から取り組みを本格化させ、忙しい学校現場において過度の負担なく取り組めるよう、多くの学校で既に実施されている「学級目標づくり」の中に子どもの権利の学びを取り入れ、学級目標に「子どもの権利条約」の精神や内容を落とし込んでいく取り組みを推進していると説明。
昨年度に行われた西東京市立保谷小学校の実践を例に、まず1時間目で、「子どもの権利条約」の条文が書いてあるカードを使って自分たちの守られている権利、守られていない権利についてグループで話し合い、クラス全体で意見交換し、2時間目で、「子どもの権利条約」を基にどのような学級目標をつくっていくかをグループで話し合い、3時間目で、クラスごとに学級目標としてまとめた流れを、写真や実際の学級目標を示しながら具体的に説明しました。
最後に、子どもたちの、「たくさんの権利に守られていると知ってうれしかった」、「幸せでいられるためにたくさん考えられていて、感謝したい」、「自分のことをもうすこし大切にしたいと思った」等の感想や、担任の先生たちの「自分の力を最大限に伸ばしていこうという意識が生まれた」、「他の子どもを思いやる気持ちが高まった」、「目標を守る意識が高まった」等の感想を紹介し、子どもの権利を学ぶことは自己肯定感の向上や、将来のウェルビーイングの向上にもつながるものであると、述べました。
発表資料より
「学級目標づくり」実施後の子どもたちの感想
発表資料より
「学級目標づくり」実施後の担任の先生の感想
Child Rights Education (CRE): 子どもの権利が守られた学校・園づくり
■ウェルビーイングを取り入れた学校づくり
埼玉県上尾市立平方北小学校 中島晴美校長
続いて埼玉県上尾市立平方北小学校の中島晴美校長から、ウェルビーイングを取り入れた学校づくりの実践について紹介いただきました。
中島先生は、学校づくりにウェルビーイングを取り入れようと考えた理由として、着任した年が新型コロナウイルス感染拡大による休校の時期にあたり、子どもの生活や成長に大きな影響が出るとの危機感をもったこと、日本の教育界に山積する課題、そして子どもの精神的幸福度の低さを示したユニセフの報告書と自殺や不登校児童の増加が報道で大きく取り上げられたこと、の3つを挙げました。
そして、学術的・科学的エビデンスに基づく3つの考え方を全職員、学校運営協議会と共有して心のあり方や判断の拠りどころとしながら、自分自身がまず体現し、伝え続けることによって、ウェルビーイングな学校づくりに取り組んでいると話しました。
1つ目の考え方は、前野隆司教授(慶応義塾大学大学院)の、「やってみよう!」「ありがとう!」「なんとかなる!」「あなたらしく!」の4つを意識することで幸せはコントロールできるという幸せの「4つの因子」の理論。四葉のクローバーの校章をモチーフにした学校のキャラクター「ひらっきー」が4つの因子を背負う絵を各クラスに掲示していることを紹介しました。
2つ目は、タル・ベン・シャハー博士(元ハーバード大学)の、Spiritual(精神的)、physical(身体的)、Intellectual(知性的)、Relational(人間関係的)、Emotional(感情的)にウェルビーイング(良い状態)であると、満ち足りて充実した人生を体現できるとする、SPIREという考え方。
このSPIREの視点で見ると、教員は子どもたちのためにとphysical(身体的)をいつの間にか犠牲にし、そこから派生して他の部分までウェルビーイングが維持できなくなってしまっているのではないかと指摘。そのため、働き方改革・業務改善に取り組み、そこで生まれた少しの時間でウェルビーイングについて知り自ら実行すること、そして「ウェルビーイングな職場」にすることを目指し取り組んでいると話しました。
3つ目は、石井遼介氏の「心理的安全性」という考え方。「心理的安全性のある職場」は教育界が抱える問題を大きく改善する可能性があると考え、必要な4つの因子(話しやすさ・助け合い・挑戦・新奇歓迎)を全教職員で共有し、「新奇歓迎」を大切にすることによって、職場が明るくなり、本気で意見を述べ合える「学習する職場」を実現している、と話しました。
また、感謝の気持ちを表すことを特に大切にし、学期ごとに感謝のワークをしたり、自らも毎日、先生たちへの感謝を込めて「今日もありがとうございました」と挨拶して帰っていることを紹介しました。
最後に、取り組みの成果として、令和4年度の職員アンケート結果から、「今年1年自身のウェルビーイングが上がったと思う」に95%(前年度85%)、「子どもたちのウェルビーイングは上がったと思う」では100%(前年度94%)が「そう思う」と回答したことや、「自分の強みを発揮できている」、「心理的安全性を実感している」(図)、「学校と地域のつながりが増えたと感じている」等、SPIREのすべての点で、前向きな回答が得られていることを紹介しました。また、学校が楽しいと答える児童は毎月96~98%で、残りの2~4%に寄り添おうとしていること、欠席者ゼロの日が50日もあったこと(令和3年度)、埼玉県の学力・学習状況調査から学力の向上が見られていることなども報告しました。
パネルディスカッション
竹内和雄教授(モデレーター)、中島晴美校長、日本ユニセフ協会学校事業部部長 金子雅彦
教員経験のある3名によるパネルディスカッションの様子(動画約20分)
取り組みの成果について
竹内:まず、ここまでの取り組みの成果は何だと思いますか?
中島:本校では、まず先生たちのウェルビーイングを高めたいと考えました。職場をウェルビーイングにすることにより、先生たちが生き生きと活動する姿で、子どもたちもとても明るくなったと感じています。それが大きな成果だと思います。
金子:保谷小学校の実践に立ち会い、「こんな権利が自分たちにはあるんだ」「自分は守られているんだ」と知った嬉しさを子どもたちが言葉にし、「知る」ことは大きいことだと思いました。先生たちが押し付けず、子どもたちがお互いに意見を交わして合意形成ができたことも大事だと思います。それから、自分にも友だちにも権利があることを理解したことで、特定の子の言動を否定するのではなく、その子の学級の中での居場所をみんなで考えた。それは大きな成果だと思います。
竹内:うれしかったというのは、どんな感じだったのでしょう?
金子:日々の生活の判断基準、よりどころがみつかったという安心感でしょうか。自己肯定感っていうのはなかなか自分では見つけられないですが、相互のやり取り、関係性の中で自分の有用感を見つける、それが自己肯定感につながると思います。
竹内:先生たち自身のウェルビーイングをどのように保ち、それが子どものウェルビーイングにどうつながっているのでしょうか。
中島:職場で意見がぶつかったりした後、どうやって解決したらいいか分からないということは、意外と起こります。その中で、心理的安全とはこういうことだと、最初は理論でも理解していくことで、それを学級経営の中で子どもたちに伝えていくことができます。そうすると子どもたちも、学級の中を自分たちの力で心理的に安全な場にしていこうという気持ちが生まれてくると思うんですね。そういった連鎖ができてきていると思っています。
先生たちの働き方とウェルビーイング
竹内:先ほどのお話(SPIREの自己評価)で、先生自身の△や×が〇になっていった要因は何だったのでしょう?
中島:かつて私は朝6時半から夜11時半まで働いていた時期がありました。自分を俯瞰する時間やゆとりもなく、目の前の業務をやることだけに夢中になってしまって、子どもたちが今どういう感情でいるのか、子どもたちが落ち込んだときにどうやって取り戻すか、新しい学びをする時間が全くなかったんです。その後、勉強して色々と知識を広げることによって、〇になってきました。
竹内:私も若い頃そうやって働いていました。それが当然と思われていて、教師が教師の心理的安全性を求めることが悪いことのような感覚がありましたけど、あれはなぜでしょう?
金子:時間に追われてやらなきゃいけないことがいっぱいあって、それを果たさなきゃいけない。先生って元々まじめだから、全部やっていると時間が足りなくなる。どこかで抜くことが必要なのでしょうね。
中島:先生は、使命感とかやる気とか、子どもたちへの思いの中で働いています。私もすごく働いていた時、苦しかったかっていうと、むしろ楽しかった(3者とも大きくうなずく)。でも自分で気がつかないうちに、蝕まれていったのかなと思います。
竹内:私も、ある授業のために子どもたち一人ひとりにパスポートを作ろうと思い込んで、夜中の2時頃まで準備して、翌日全員に配ったんですよ。子どもたちは、えっ!て喜んでくれて、その一瞬で全部報われますよね。ただそれが子どもたちにとって全部プラスかというとそうではない、その辺の気づきがいるんでしょうね。夜中の2時まで学校にいたら教頭先生が一緒に付き合ってくれたんですが、あの時に僕が教頭だったら止めないといけないんだと思います。でも、それってなかなか難しいですよね。校長先生やっておられる立場でその辺はいかがですか?
中島:SPIREのP(physical)はすごく大事だと伝えて共通理解があることと、働き方改革を推進しているので、帰りなさいと言わなくても、だいたい夜7時、8時には皆さん帰宅されます。
金子:言葉で言って伝わるのでしょうか?
中島:私がいきなりSPIREやりますと言っても反乱が起きたと思いますが、最初に自分が体現し、徐々に元になる考え方を伝えていったことで、浸透したのだと思います。
日本の子どものウェルビーイングを高める上での課題
竹内:職員室がウェルビーイングを重視するから、先生方も子どもたちのウェルビーイングを重視する。中島先生は先生たちの先生なんですね。日本で子どものウェルビーイングをなかなか高められない課題になっているのは一体何でしょうか。
中島:まず教員の異動ですね。せっかく前進しても、翌年には3分の2の先生が入れ替わってしまうので、またゼロから出発するという感覚があります。2つ目は教員の数が少ないこと。数が少ないとどうしてもカバーに入ります。そうするとまたゆとりがなくなってくる、という日本全体の課題も大きくのしかかっていると思います。
金子:今のお話は私も同感です。子どもの権利について学校でお話をすると、子どもも先生も知らないし、読んだこともありません。実は私自身も、権利条約があることは知識として知っていましたが、この仕事に就くまで目を通したことがありませんでした。それでも校長でいられたんですね。教職を目指す、または教職になってからのどこかの過程で読んで知る機会があれば、それをベースに色々な活動ができるんじゃないかなって、今は思っています。
竹内:お二人とも同じことを言っておられて、先生方が子どもの権利やウェルビーイングを大学の教育課程で学んでないから、伝えることも浸透させることもなかなか難しいということですよね。
子どもの権利を学校現場に取り入れる
竹内:私も「子どもの権利条約」を学生たちに読ませてるんですけれども、「当たり前じゃん!」って言うんですよね。今回、この当たり前のことを、「これが君たちの権利なんだよ」と子どもたちに教えることが重要だと聞いたことは、非常に刺激的でした。それは何の時間にどのようにやるのが一番いいと思いますか。
金子:本当は学習指導要領に基づいて進められるのが一番よいんですけれど。新たにコマを作ることは難しいですから、今ある教育の中にどうやって位置づけるのかを見つけるのが一番大事でしょうね。「学級憲章づくり」は、もともとは外国から入った発想で、自分たちで合意して、自分たちの学級をつくろうというもの。それを日本の学校で実践することを考えた時に、日本では「学級目標づくり」じゃないかっていうことから始めました。
中島:とてもいい考えだと思います。おとなが相手をリスペクトしたり、折り合いをつける力を発揮していく姿を見せることが大切なのと、それを裏づける「権利」をちゃんと学んで子どもに伝え、体現し、チャンスをつかんでいくこと。これによって大きな進歩になると思いました。
竹内:学級目標という形に置き換えたこと、子どもたちに負荷がかかりすぎない13の条文にしぼったことがポイントだったのではないかと感じましたが、13個は誰が選んだんですか?
金子:担任の先生方が事前に選びました。そこに先生方の意図や思いがあります。その中から、子どもたちが主体的に選ぶという過程をふんだ。そのことも大きかったと思います。時間がかかってあまり深められないのかなと思いましたが、子どもたちは意外と意見を出しながら選んでいました。いろいろなことを考えてつくった学級目標だったので、子どもたちの中に残っていて、他の勉強の場面でも「子どもの権利」という視点からの意見が出てくるそうなんですね。それはすごいなと思いました。
ウェルビーイングをさらに高めるために必要なこと
竹内:取り組みをさらに進めるために、何を行っていけばよいのでしょうか。
金子:やはり子どもたちが子どもの権利に触れるっていう場面をつくるというのが一番ですね。先生方もどこかの時点で「子どもの権利条約」を読む機会があることが必要だと思います。
中島:私はウェルビーイングの視点から。外向きのランキングとか評価ばかり気にされる方がいらっしゃるんですけども、そうではなくて、やっぱり自分たちの学校や地域のウェルビーイングを真剣に考えて、足元からしっかり毎日毎日やっていくことが大事だなって思っています。
金子:お話を聞いてて、何のエビデンスもないんですけども、先生がこう生き生きとしてウェルビーイングな状態じゃなきゃ絶対子どももウェルビーイングじゃないって、本当に経験的実感として思いました。
竹内:これからの研究とか理念とかっていうのは、そういう言葉にできない実感していることを数値で表して、示せたらいいですよね。学級目標づくりは、簡単にまとめた学習指導案があると取り組みやすく、さらに面白い実践になっていくかなという風に感じました。
最後に、前半に登壇した二人からもコメントがありました。
アマンダ:学校で感謝を伝える取り組みはすばらしいと思いました。私からも、すばらしい議論にまずはありがとうとお伝えしたいと思います。前半の、政府の立場、グローバルそして日本に特化した研究者の立場の話から、後半では実際にウェルビーイングを高めるにはどう実践すればよいか、先生の数や労働時間、動機づけるものを含めたかなり具体的な話にまでつながり、すばらしい議論だったと思います。子どもの権利とウェルビーイングのリンクも明らかになりました。そして、来年には国連の「未来サミット」も開催されると聞いています。今日、未来を見据えて、子どもや教師のウェルビーイングをどう高めていくのか議論することができたことは、すばらしかったと思います。
ラプリー:アマンダに同感です。政策やグローバルなリサーチはありますが、本当にウェルビーイングが高まるのは、学校や教室においてです。中島先生の取り組みは、ウェルビーイングの要素を整理した形で取り入れ、効果まで測ろうとされていて、とても参考になりました。学校レベルのそのようなコミットメントこそが、政策やグローバルな宣言をそれ以上のものにするもので、ぜひ学校間で広く共有していただきたいと思いました。日本の先生たちが世界一忙しいのは知っていますが、感謝や人間関係を重視する「日本式の」取り組みは、その学校のためだけでなく、研究者や政府関係者、ユニセフを通じて世界に発信することができれば、世界への貢献にもなるということを、ぜひお伝えしたいと思います。
子どもの権利中心の教育へ
シンポジウムの最後には、「すばらしい発表をありがとう」と伝えたアマンダ、ラプリー両氏のコメントを受け、中島先生、金子からも感謝が伝えられました。竹内先生は、実は褒めてもらう機会が少ない教師の日常にふれ、「ありがとう」と言われることで教師もウェルビーイングを高め、職場でも感謝を伝えていく、そういう関わりの中で子どもも先生も育っていく、その点が日本的な良さだと話しました。
そして、教育の方向性は「教え込み」から「学び取り」、「教師主導」から「子ども主体」になってきていることを改めて示し、「子どもの権利」中心になってきている教育にあって、子どもは柔軟だが課題はおとなであると指摘。その中で、今日議論した「子どもの権利条約」やウェルビーイング、また、まずおとなから変えていこうという取り組みは、今日の教育の方向性に合った事例で、深い学びになったと総括し、感謝の言葉でシンポジウムを締めくくりました。