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スマトラ沖地震・津波から10年
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© UNICEF Indonesia/2014/Achmadi |
バンダ・アチェの小学校で避難訓練をする生徒たち。 |
12月末の日曜日のことでした。未明の激しい地震で目を覚まし、何かがおかしいと感じました。そしてすぐ、津波から逃れるために避難しました。避難する人たちでごった返す中、高台の頂上にたどり着きました。なかには怪我を負った人たちもいました。
振り返って高台から町を見下ろすと、目に映ったのはバンダ・アチェの惨状でした。木々や家、道路が津波で押し流され、見渡す限り、瓦礫でいっぱいでした。トタン板や壊れた建物、倒れて流された木の枝、そして遺体。すべてを失い、家族の生死すら分かりませんでした。そして、町のインフラはすべて破壊されました。すべて、一瞬の出来事でした。地震や津波から生き延びることはできましたが、食べる物も、飲むものも、体を休める場所もありませんでした。
今から10年前の2004年12月26日、バンダ・アチェを襲ったスマトラ沖地震・津波は、インドネシア・スマトラ島の最北端に位置するこの町で暮らす、推定17万人の命を奪いました。そして、着る物も食べる物も、身を寄せる場所もない人たちの数は、何万人にも上りました。
バンダ・アチェにあるムハマディヤ(Muhammadiyah)小学校も、甚大な被害に見舞われました。学校は津波で破壊され、300人の児童のうち、命が助かったのはたった17人でした。被災前、ムハマディヤ小学校の校舎はコンクリートと木材で半永久的な構造で建てられていましたが、屋根からは雨漏りがしていました。そして、生徒は薄いベニア板で作られた机と椅子で勉強していました。
ユニセフは“Build Back Better” (ビルド・バック・ベター)=「災害発生以前からあった問題も復興支援を通じて解決する」を理念に掲げ、ムハマディヤ小学校を、今後起こり得る災害にも耐えられる学校とするため、再建の支援に取り掛かりました。
被災後、より地中深い基礎構造と、より強固な支持システムを備えた、耐震性の高い新しい校舎が設計・建設されました。そして、生徒たちのために金属製の脚と分厚い木材の天板で作られた机も取り入れられました。
「子どもたちがより安全な環境で勉強できるようになり、安心しました」と、イブ・ザハリア校長が話します。
このムハマディヤ小学校は、ユニセフがアチェで実施した300以上の学校再建支援のモデル校となりました。
© UNICEF Indonesia/2014/Achmadi |
避難訓練で机の下に隠れるバンダ・アチェの小学校の児童たち。 |
学校では、生徒たちが定期的に防災訓練を行っています。警報が鳴ると、割れたガラスで怪我をしないように、窓から離れた場所で、生徒たちが一斉に床に伏せて机の下に隠れます。そして揺れが収まると、校舎から避難するのです。
生徒たちは教室から校庭に避難すると、グループで列に並び、先生が人数点呼をします。生徒たちは基本的な応急処置の方法や、怪我をした友達を運ぶためのストレッチャーの場所も頭に入っています。
数学が得意な11歳のナシャワ・ズルカーマインちゃんは、両親や兄姉から津波が起きた当時の話を聞きました。家族はすぐに車で高台へと避難し、全員が無事でした。
「地震が怖いです。でも、地震や津波が起こったら、どうしたらいいのか教えてもらいました」と、災害発生時は1歳で、今は6年生になったナシャワちゃんが話します。
多くの児童が津波で命を失った2004年、ムハマディヤ小学校は心の底深い悲しみに包まれました。しかし、たとえ再び津波がこの地を襲っても、防災教育を受けている児童たちはより適切な行動を取ることができることでしょう。
「災害が起こっても、子どもたちや学校全体がパニックに陥ることはないと思います。子どもたちが防災訓練を受け、自分の身を守る方法を知っているのは心強いです」
ユニセフは被災地のインフラの再建に留まらず、災害以前よりよい社会を目指して支援を行っています。2004年、緊急支援を実施した際にユニセフが立ち上げたプロジェクトは、10年後の今も、コミュニティの生活に役立っています。