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中央アフリカ共和国と国境を接するチャド共和国。チャドの国境付近では、難民や帰還民たちが終わることのない暴力に怯え、緊急に支援を必要としています。 * * * 銃声が響いた、自宅での最後の夜端正な顔立ちと知的で明るい色の瞳が印象的な10歳のアシア・イッサちゃん。音楽を奏でるような声が彼女の言葉に強い印象を残し、自信を持って話す姿に誰もが注目します。 「武装勢力が村にやって来た夜は、本当に怖かったです。子どもたちは泣いていましたし、おばあちゃんはお祈りをしていました。男の人や近所のお兄さんやお姉さんに手助けしてもらい、町から逃げ出すことができました。着の身着のまま、何もかも置いて逃げてきました」 アシアちゃんは、首都バンギから北東424kmに位置するカルノーの自宅で過ごした最後の夜に起こった出来事を話してくれました。今から1年ほど前の深夜、住民たちは銃声で目を覚ましました。アシアちゃんはおばあさんと一緒になんとか逃れることができました。 「銃声が聞こえました。真っ暗の中、銃から出る光だけが見えました」と、アシアちゃんの祖母、アナッサ・アブドゥライさんが語ります。「村の男の人たちが車を出してくれたので、チャドの国境まで急いで逃れました。そこで、1カ月ほど過ごしました」 アシアちゃんは現在、中央アフリカからのチャド帰還民のために設けられたトランジット・センター(一時受け入れ所)のある、チャド南部のダナマジャ(Danamadja)で生活しています。 頼る場所なく
中央アフリカで激化する暴力で、約15万人がチャドで難民となっています。アシアちゃん一家のように、ほとんどがチャド帰還民です。多くは長い間チャドを離れていたため、チャドで頼る人も場所もありません。 アシアちゃんは、カルノーでの生活は容易ではないと話します。アシアちゃん一家は中央アフリカでは、祖母が建て直したばかりの大きな家で生活し、祖母は隣国から服を買い付け、バンギで販売するビジネスを営んでいました。アシアちゃんは、生まれ故郷での生活が大好きだったといいます。 「たくさん友達がいる学校に通っていました。家に帰るとおばあちゃんの家事を手伝ってから、友達のところに遊びに行っていました。たくさん友達がいました」 アシアちゃんやアナッサさんは、早い時期からダナマジェに身を寄せている家族のうちのひとつです。生活は困難を極めましたが、少しずつ改善されているといいます。 「初めてダナマジェに着いたとき、生活環境は決してよくありませんでした。2日後、何本かの木を切ってきれいにし、家を建てました。それから、家の覆いをしました。ずいぶん良くなりました」 この施設に身を寄せる人々は、飲料水や適切な衛生環境、教育へのアクセス、子どもや女性のための保健と栄養ケア、そして保護を必要としています。 ユニセフは家族の追跡・再会や「子どもにやさしい空間」での心のケアだけでなく、パートナー団体と共に一時的な学習スペースの設置と、難民や帰還民が身を寄せる施設で安全な水と医薬品の提供を進めています。
政府と協力して、ユニセフはすべての施設で何千もの給水施設やトイレを設置し、1万人以上に医療相談を実施し、何十万もの子どもに予防接種を投与しました。これらの施設の子どもたちの栄養状況がすぐれないことから、栄養状況の検査や治療ケアも実施しています。 複雑な状況「ユニセフはすべての子どもやその家族が守られ、必要不可欠な基本的社会サービスへアクセスできるよう、支援を拡大しています」と、ユニセフ・チャド事務所代表のブルーノ・メイズが語ります。 「ユニセフは更なる支援を国際社会に求めています。人道支援を強化し、チャドの子どもたちや女性に大きな影響をもたらしているこの複雑な状況に対応し、支援を実施する必要があります」(メイズ代表) 避難してきた家族のほとんどが、中央アフリカの自宅や親戚への恋しさを募らせる一方、アシアちゃんが語ったような暴力の恐怖は、以前にも増しています。 「お姉ちゃんに一番会いたい。お姉ちゃんは一緒に避難できなかったの。ずいぶん長い間会ってないから、お姉ちゃんが一番恋しい」(アシアちゃん) 「もし紛争が終わったら、また中央アフリカに行ってみたいです。でも、怖いのでそこに住みたくはありません。ここにいる間に、また別の紛争が始まるのではないかと、とても不安です」
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