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アジア太平洋地域:
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© UNICEF Pacific/2014/VWaradi |
避難所に身を置くクレラちゃん(ソロモン諸島) |
「娘のクレラが生まれたときは、まさかそれから1週間もしない間にすべてを失うとは、思いもしませんでした」と、マデリン・ヒロさんが話します。
赤ちゃんと一緒に病院から自宅に戻ってわずか1週間後、マデリンさんはソロモン諸島のホニアラで発生した鉄砲水に襲われ、家族を必死に守りながら避難をしていました。
この洪水の影響を受けた人は5万2,000人以上に上り、マデリンさんは自宅を失いました。
クレラちゃんはユニセフが支援する避難所に身を寄せ、家族と一緒に安全な場所で生後2週間目を迎えることができました。
© UNICEF PNG/2014/Alcock |
地震に備え、防災訓練を受ける10歳の女の子(パプア・ニューギニア) |
2014年はじめ、東部山岳州のゴロカで地震が発生しました。1,000人以上の生徒や先生はパニックに陥り、教室から急いで逃げ出しました。
6カ月後、生徒たちを再び地震が襲いましたが、教室から逃げ出す子どもはひとりもいませんでした。大多数の生徒は落ち着いて教室の壁に寄ってしゃがんだり、机の下に身を隠したりしていました。ユニセフが支援する緊急時に備えるための防災訓練のおかげで、生徒や先生たちは将来起こり得る災害に適切な対応を学んだのです。
© UNICEF/2013/Philippines/Diana Valcarcel |
かつて自宅のあった場所で立ちすくむアップルちゃん(フィリピン) |
台風30号がフィリピンを直撃し、600万人近い子どもたちが甚大な影響を受けました。
10歳のアップル・ジョイちゃんが、かつて自宅があった場所で立ちすくんでいました。何もかも流され、自宅で唯一コンクリートを使って取り付けられていたトイレだけが、瓦礫でいっぱいの土地に残っていました。アップルちゃんは、妹や友達と一緒に遊び、母親が洗濯物を干していた中庭を案内してくれました。
アップルちゃんのような子どもたちが再び日常を取り戻すことができるようにするため、ユニセフは「子どもにやさしい空間」を設置し、支援を行いました。
© UNICEF Video/2012 |
被災した経験を語るナタシットくん(タイ) |
ナタシット・ムアンガサワくん11歳は、洪水に慣れていました。雨季になると、毎年のように自宅が浸水してしまうのです。しかし、2011年の大規模な洪水の際には、本や机、おもちゃなど、すべてのものを失いました。しかしその時、初めて自分の経験を語り、意見を言う機会を得たのです。
「洪水が起こるときは、とても退屈です。家の外に出られませんから」と、数週間、2メートル以上自宅が水に浸かっていたナタシットくんが語ります。
「おとなには、あまりぼくたちにプレッシャーをかけないでと言いたいです。洪水で子どもたちはストレスを感じています。子どもの声にも耳を貸してほしいです」
© UNICEF Myanmar/2009/Khin Zaw |
2009年に開校した、サイクロンにも耐えられ学校(ミャンマー) |
ミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスから1年を迎えた2009年、ユニセフの支援を受け、クウィン・キャー・タウ村で「子どもにやさしい学校」が開校しました。
この学校は、猛烈なサイクロンや台風にも耐えうる構造となっており、子どもたちは台風やサイクロンに見舞われた後も、すぐに学校に戻ることができます。
このサイクロン・ナルギスは、ミャンマーの歴史上で最も甚大な被害をもたらした自然災害として知られており、14万人が命を失っています。また、同時期に中国で起こった四川省の地震の影響を受け、災害発生時に十分な支援を迅速に受けることができませんでした。
© UNICEF Video/2009 |
「子どもにやさしい空間」で描かれた子どもたちの絵(中国) |
2008年に四川省で起こった大地震により、1万人以上の住民が命を落とした地域があります。6歳のドウドウちゃんも、両親を地震で失っています。
「数カ月間、孫たちは夜中に目を覚まし、母親や父親が恋しくて泣いていました。ドウドウはだれとも話そうとせず、長い間悲しみに暮れていました。どうしたらドウドウの心の傷を癒してあげられるのか、私には分かりません」と、祖父のワンさんが話します。
子どもたちがトラウマを乗り越えることができるよう、ユニセフの支援により、子どもたちが遊んで学べる「子どもにやさしい空間」が設けられました。
「ドウドウは踊ったり、自転車に乗ることが好きです。兄のシンシンの将来の夢は、地震を予防することのできる機械を発明する科学者になることです」と、ワンさんが話しました。
© UNICEF/NYHQ2005-1699/Estey |
再会した親子(インドネシア) |
2004年に起こったスマトラ沖地震・津波の7カ月後のことでした。離れ離れになっていた少年と母親がインドネシアのムラボーにあるユニセフの現場事務所で再会を果たしました。
津波発生時、少年は父親と3人の兄弟と一緒にバンダ・アチェで休暇を過ごしていました。家族と離れ離れになってしまった少年は、避難所に身を置いていました。子どもセンターで家族の捜索ネットワークに登録したのは、4月になってからのことです。母親は、現場事務所からの知らせを受けるまで、家族の安否が分からない状態だったといいます。
© UNICEF/NYHQ2005-0323/Estey |
木陰で授業を受ける子どもたち(インドネシア) |
子どもたちが木陰に座り、レクレーションキットの中に入っている支援物資で遊んでいました。「少しの間ですが、子どもたちが津波のことを忘れることができるのです。多くの子どもたちは、津波で何もかも失っています」と、ユニセフの担当官が語ります。
災害後は、子どもたちができる限り早く日常に戻ることが重要です。学校に戻り、友達と再会することで、トラウマを乗り越え、子どもたちの生活にもたらす影響を最低限にすることができるのです。
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