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アジア太平洋地域:
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© UNICEF Pacific/2014/J Alcock |
潮汐で海水に囲まれる村(キリバス) |
キリバスの子どもたちは今、海面上昇がもたらす現実に直面しています。かつて人々が生活を送っていた居住区も、今や海水に覆われています。数十年後、住民たちはこの島から避難し、生活の拠点を移さざるを得ない状況に陥るといわれています。
海面の上昇や降水量の減少、サンゴ礁の破壊が、島中のコミュニティに影響をもたらしています。現在生活している子どもたちが、キリバス出身の最後の世代になる恐れもあるのです。
「影響を最前線で受け、肌身に感じているのが子どもたちです。この島の現状を、世界中の人たちに知ってもらいたいです」と現地の学校に通っているテアコ・オティアさんが話します。
© UNICEF Philippines/2014/Andy Brown |
アンナ・マリアちゃんと母親。災害直後から、ユニセフの支援を受ける避難所に身を寄せていた(フィリピン) |
2014年、暴風雨に見舞われたフィリピン・ケソン市の川の近くにあるスラム街は、洪水の危険が高まっていました。氾濫地域を避け、丘の上に避難所が設置されました。
10歳のアンナ・マリエ・アルマディンちゃんは、母親のリリーさん(46歳)と一緒に避難所に身を置いていました。アンナ・マリエちゃんは、「昨日は私の誕生日でした。雨が激しく降り、とても不安でした。誕生日ケーキも食べることができなかったので、悲しかったです。今から家に帰るので、今夜はお気に入りのファーストフード店に行ってお祝いしたいです」と話してくれました。
そして、こみ上げてきた感情を抑えることができず、母親の胸の中で涙を流しました。
© UNICEF Pacific/2014/ATahu |
洪水の被害にあったアイザイア・アンドリューくん(8歳) |
2014年、8歳のアイザイアくんは家族と一緒に休暇を過ごしていました。しかし、休暇を過ごすために訪れた別荘に着いてすぐ、洪水に見舞われたのです。「川の水がみるみるうちに増えて、とても驚きました。家の周りに水が押し寄せてきて、流れてきた金属や瓦礫で溢れかえっていました。どこにも逃げることができませんでした」
「ココナッツの木に、必死につかまりました。でも、川の水の勢いがとても強く、流されてくる金属や草、泥、プラスチックがぶつかってきました。家が崩れていくのが見えました。家がぼくのほうに倒れてきそうだったので、ココナッツの木から手を離すしかなかったのです」
「心の中で、『止まってはだめだ、泳ぎ続けるんだ』と自分に言い聞かせ続けました」
© UNICEF Cambodia/2012/Andy Brown |
家族と一緒に笑顔を見せるチャントゥちゃん(左上)(カンボジア) |
13歳のロワン・チャントゥちゃんは現在、カンボジアのプレーク・チャム学校に通っています。2011年9月、チャントゥちゃんが通う学校が、カンボジアで10年に一度といわれる甚大な被害をもたらした洪水に巻き込まれました。
チャントゥちゃん一家は、食糧や水を手に入れることができずにいました。「船を持っている人は魚を釣ることができましたが、私たちは食べ物を手に入れることにとても苦労しました」と、チャントゥさんの母親のチュオン・シーンさんが話しました。
「井戸は使い物にならなくなりました。洪水で押し寄せた水はとても汚く、動物の遺体も浮かんでいました。川の水は飲むことができるのですが、煮沸させるための木材がありませんでした。子どもたちは下痢や発疹、発熱に苦しみました」
© UNICEF/NYHQ2010-0432/Cullen |
学校を終え、自宅へ帰る小学校1年生の女の子(モンゴル) |
2010年、西モンゴルで豪雪や暴風、かつてないほどの厳しい寒さで、国土の半分以上に及ぶ地域が危機的状況に陥り、気温は-50度にまで下がりました。
現地語で“ゾド(dzud)”と呼ばれているこの雪害で、1県につき少なくとも9人の子どもが命を失いました。16歳の少女がこの雪害に見舞われた厳しい冬を思い出しながら話してくれました。
「昨年の冬、ゾドに見舞われたとき、40匹ほどの家畜の世話をしていました。動物たちが草を食べられるよう、雪を掘ってあげなくてはいけませんでした。ときには、素手で雪をかき分けたこともありました。吹雪で視界が悪く、道を見失って迷子になってしまうかと思いました。オオカミが来るのではと、とても怖かったです。頬や耳が凍りつきそうでした。余りの寒さで耳が凍傷になり、痛みがひどく、耳の中から何か液体が出てくる程でした」
© UNICEF China/2009/Zhoo Jia |
ルオ・イユンちゃん。被災後、ユニセフの支援を受けて設置された設置された給水ポンプを掃除している(中国) |
2008年の四川省大地震から数カ月後、10歳のルオ・イユンちゃん一家は、水を手に入れることに苦労していました。「井戸のそばにしゃがんで水を汲まなくてはいけません。バケツをいっぱいにするのに、だいたい30分ぐらいかかります。井戸の水が少ないときは、もっと時間がかかります。見てください。水が濁っているでしょう」と、ルオちゃんが眉をしかめながら話しました。
地震で多くの家が損壊し、村のパイプラインも大きく破壊されました。
「夜には井戸の水が増えるので、両親は深夜に水を汲みに出かけていました。たらいに水を張って、まず顔を洗い、残りの水で足を洗っていました。お風呂に入ることができたのは、週に1度だけでした」
© UNICEF Thailand/2014/Jingjai N |
津波に見舞われた町の写真の前で立つノン・ビーさん(タイ) |
「10年が経ちますが、津波の記憶が消えることはありません」と、23歳のノン・ビーさんが、声を震わせながら話します。
「海に向かって走って逃げていたら『大津波が来る!』と叫んでいる人の声を聞き、丘を登る人々の後についていきました。パニック状態で、家族や友人を探し回る人たちであふれかえっていました。遺体があちらこちらにありました。子どもたちに悲惨な光景を見せまいと、おとなたちが子どもの目を覆っていました」
2004年12月26日、タイのアンダマン海岸を襲った津波で5,300人以上の命が失われ、2,800人が行方不明となりました。
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ユニセフは、世界各地の災害発生時に直ちに必要とされる緊急支援を届けるとともに、その後の長期にわたる復興支援においては、政府や自治体と協力し、子どもたちへ心のケア、学校再開支援、学校での防災訓練の実施などをすすめています。
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