【2018年12月19日 ウクライナ発】
©UNICEF/Artem Hetman |
教室の窓にあいた砲弾の穴、スクールバスでの危険な通学、地下の防空壕、校庭に埋まる不発弾― ウクライナ東部で、これらは今や日常の光景です。 4年間の紛争を経て、40万人以上の子どもが前線で暮らし、学校に通い続けています。
絶え間ない砲撃の音で眠れぬ夜、校舎や通学バスが砲撃される危険性があることへのストレス。 戦闘がもたらした心への代償は、計り知れません。
ウクライナの子どもたちのことを知ってください。 学校に通おうとしている、ほかの子どもと何ら変わりのない子どもたちです。 でも、彼らが暮らしている環境は、「普通」とはかけ離れています。 |
©UNICEF/UN0263670/Morris VII Photo |
ふたりは母親、父親、幼い弟と一緒に、家族5人でウクライナ東部の町 Novotoshkivskeで暮らしています。ユラの一番好きな授業は英語とコンピューター。公園でのかくれんぼや栗拾いが好きです。マーシャは算数と国語が好きです。大きくなったら、歌手になりたいと思っています。
でも…
©UNICEF/UN0243152/Morris VII Photo |
2015年1月、マーシャたちの通う学校の校舎は、砲撃によって、破壊されました。「学校だけじゃなかった。町全体が砲撃にあったの」とマーシャは話します。「こわかった。すごい音で、その後しばらく音が何も聞こえなくなった」
今でも、大きな音が聞こえると幼い弟は泣いてしまう、とマーシャは言います。そういう時、マーシャは飴玉を渡して、心配しないでと言います。「ほら、おとなたちがゲームをしているだけだよ」
「前に、砲撃が始まった時、家でおばあちゃんと一緒にいて、窓がガタガタ揺れたの。とてもこわくて、トイレに隠れていたわ」
©UNICEF/UN0243035/Morris VII Photo |
アルチョムは、コンタクト・ライン(接触線)上に位置する町Mayorskで、家族と暮らしています。コンタクト・ラインは、ウクライナ東部で政府管理下にある地域と、親ロシア派の支配地域とを分断する前線で、もっとも戦闘が激しい地域です。サッカーが好きで、一番好きなチームはバルセロナ。大きくなったら、地元のチームでプレーしたいと言います。家の手伝いと宿題が終わったら、テレビを見てもいいと言われているそう。冬には、友達と雪遊びをするのが好きです。去年の冬、町の子どもたちは自分たちのスケートリンクを作りました。誰もスケート靴を持っていないけれど。
でも…
©UNICEF/UN0243147/Morris VII Photo |
アルチョムの腰には砲弾の破片が入っています。2014年9月、家族と庭にいた時に、迫撃砲が数メートル先に落ちた時のもので、他の3つの破片は医師に取り除いてもらいました。砲撃があって以来、頭痛に悩み、月に数回は視力の検査で病院に行かなければなりません。
©UNICEF/UN0243115/Morris VII Photo |
ダイアナは、コンタクト・ライン上で母親と暮らしています。ドネツク州のOpytneにある学校に通い、将来は幼稚園の先生になりたいと思っています。「子どもの面倒をみるのが好き。子どもたちと仲良くなれるの」とダイアナは話します。
でも…
©UNICEF/UN0243118/Morris VII Photo |
以前通っていたHorlivkaにある学校が砲撃を受けたことから、ダイアナは、毎朝5時半に起床し、2時間ほどかけて、より安全な学校に通わなければならなくなりました。毎日学校に通ったり買い物に行ったりするためには、検問所(チェックポイント)を通らなければなりません。村に住む他の子どもたちは、危険すぎると言われているダイアナの家に遊びに行くことができません。
家では最低限の物だけを使い、他の物は、素早く逃げるために荷物としてまとめてあると、ダイアナの母親は言います。「ほんとうに危険な状態になったら、いつでも逃げられるようにね」
©UNICEF/UN0243137/Morris VII Photo |
ソニアは、母親と幼い妹と暮らしています。おとなになったら検事になりたいと思っています。裁判官もいいんじゃない、と母親は言います。コンタクト・ライン上に位置する町Mayorskでアパートに住んでいます。前はよく、友達とかくれんぼをしたり、森でサッカーのゴールポストとして使う木の枝を探したりしていました。
でも…
©UNICEF/UN0243132/Morris VII Photo |
今、ソニアが友達と森の中で遊ぶのはあまりにも危険です。「このサッカーフィールドで遊べても、他の場所へは行けなくなった。どこも地雷が埋まっているの」とソニアは言います。戦闘がもっとも激しかった時、家族とともにMayorskから逃れましたが、2017年の後半に戻ってきました。
窓は粉々、周囲には地雷や不発弾が散乱。彼女の住んでいたアパートの変わり果てた姿を初めて見た時、とてもショックだったといいます。「自分が住んでいた場所だと分かりませんでした。あまりにも違い過ぎて」とソニアは言いました。「検問所、 コンクリートブロック 、(地雷の危険等を示す)看板。そのすべてが、見慣れないものでした」
©UNICEF/UN0243117/Morris VII Photo |
ディマは、Bakhmutka村の郊外に、母親、父親と暮らしています。スポーツが好きで、放課後はよく友達とバレーボールやサッカーをして遊んでいました。犬などの動物が大好きで、将来は獣医になりたいと考えています。
でも…
©UNICEF/UN0243117/Morris VII Photo |
ほぼ毎日、迫撃砲による砲撃の音が聞こえてきます。ディマの家は、コンタクト・ラインの近く。こういう生活にも慣れたとディマは言いますが、母親によると、神経質になって、時々夜中に目を覚ましては「止めて!止めて!」と叫ぶそうです。
ディマは、紛争中に生まれた子どもたちは、あたり前の子ども時代をおくれないと言います。
「砲撃の音を聞きながら育っているんです。僕が小さいころは平和だったけれど」
©UNICEF/UN0243126/Morris VII Photo |
エディクは、母親、父親、赤ちゃんの妹と、Bakhmutka中心部にあるアパートで暮らしています。ボール遊びが好きで、よく森でベリーやキノコを採っていました。今は、父親を手伝い、掃除やポンプからの水汲みをしています。その水で母親が洗濯をするという分担です。「全部終わったら、遊びに行けるんだ」とエディクは言います。バスで通学し、将来は警察官になりたいと思っています。
でも…
©UNICEF/UN0243123/Morris VII Photo |
学校に行くまでが大変です。エディクは以前Horlivkaの町にある学校に通っていましたが、学校が砲撃に遭って行けなくなりました。2015年、戦闘がもっとも激しかった時、エディクは家で学習するホームスクーリングで学ばなければなりませんでした。今は、紛争地から遠い、より安全な学校に通っています。
でも、通学路はでこぼこで険しい道です。バスがかろうじて避けた迫撃砲が、道路に大きな穴を残したこともありました。
「一緒に遊ぶ友達がいないんだ」と、エディクはいいます。「前は同じ街区に6人友達がいたんだけど、2014年にはみんないなくなっちゃった」
©UNICEF/UN0243127/Morris VII Photo |
サーシャは、母親、父親、姉とドネツク州のBakhmutkaに住んでいます。学校にいるよりも、家で母親や6匹の子猫たちと一緒に過ごし、テレビでアニメを見たり、外で友達とかくれんぼをして遊ぶのが好きです。夜は、一番好きな子猫のMitiay、大きなテディベアのBublikと一緒に寝ます。バスで学校に通っています。
でも…
©UNICEF/UN0243129/Morris VII Photo |
学校に着くまでが大変です。通学路は危険です。サーシャのおばあちゃんは、バスの通学ルートはコンタクト・ラインの近くを通らなければならず、その大部分が砲撃の範囲内にあると言います。
サーシャの母親によると、これまで家は砲撃を受けたことはないものの、2014年、近所の家に迫撃砲が4、5発落ちたといいます。「子どもたちは今でも家で眠るのをこわがっているので、地下で寝ています」と母親は言いました。「去年、3月の初めころ、とても激しい戦闘があり家の上を砲撃が飛び交っていました。父親が私たちを連れて近所の家の地下に行きました。そこで2晩過ごしました」
サーシャの母親によると、この地域で暮らす子どもたちに“本当の子ども時代”はないと言います。「子どもたちは遊ぶ時、戦争ごっこをしたり、検問所での兵士たちのやりとりをまねたりするのです」「子どもたちはすぐに成長して、何でも知っています。どんな武器が使われているかも、いつ、どこで攻撃を受けているかも」
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ウクライナ東部の子どもたちに必要なのは、戦闘の終結です。
ユニセフはウクライナ東部の子どもたちのために、以下の取り組みをおこなっています。
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