2022年8月14日ソマリア発
「アフリカの角」と呼ばれるソマリア、エチオピア、ケニアなどを含む広い地域が今、過去40年間で最悪の干ばつに見舞われています。この地域で暮らす180万人以上の子どもたちが、命を脅かす深刻な急性栄養不良のために緊急の治療を必要としています。
一見、影響がないように思えるウクライナでの紛争も、より多くの子どもたちが窮地に立たされる要因となっています。ウクライナもロシアも小麦やトウモロコシなど主食となる穀物の主要輸出国で、例えばエチオピアは小麦の7割近くを両国から輸入しています。直接的な穀物の輸入量の減少に加え、世界的な穀物価格・燃料価格の高騰に伴い、地域の食料不安はますます悪化することが懸念されています。
ウクライナ危機の陰であまり報道されない、危機下にある子どもたちの様子を世界に伝えるため、「アフリカの角」地域を訪れたユニセフの広報専門官、オミド・ファゼルによるレポートをお届けします。
ファゼル広報専門官は、子どもの時にユニセフの支援を受けた経験があります。 「私が初めてユニセフのスタッフに出会ったのは子どものときで、13歳くらいでした。私はアフガニスタンのカブールの学校にいました。学校には椅子も先生もなく、私たちは暑い日差しの下で地面に座っていました。 そのとき、ユニセフ支援のスクール・バッグが配られたのです。それまで、私はビニール袋にノートを入れて持ち歩いて、そのことをとても恥ずかしく思っていたので、ユニセフのバッグをもらった日、本当にうれしかったのです。」 大人になったファゼル広報官は、2018年11月にユニセフ職員としてアフガニスタンで活動し始めました。 |
今回ファゼル広報専門官は「アフリカの角」地域の国の一つ、干ばつによる壊滅的な影響を受けているソマリアを訪れました。
栄養不良で命の危機にあるイブラヒム
イブラヒムと出会ったのは、病院の廊下を歩いていたときでした。医師たちは、輸血に必要な血液型を調べるために、彼の血液を採取しようとしていました。 イブラヒムはテーブルの上にのせられており、2人の看護師がそばにいて、採血のためにイブラヒムの静脈に注射針を刺そうとしていました。
イブラヒムの体を見たら... 気持ちだけでなく人生までもが変わるでしょう。イブラヒムの体はとてもか細く、思わず自分の子どものことを思い出しました。 私たちはみんな同じ人間です。目の前で子どもが苦しんでいるのに、何も行動しないのは耐え難いのです。
この国では、子どもたちが干ばつで苦しんでいます。 イブラハムに会ったあの瞬間は、私にとって忘れられないものになりました。
私のアフガニスタンの自宅には生後10カ月の娘がいます。 名前はロキアです。 もし、娘が、イブラハムと同じように急性栄養不良の状態になったら、私はどうするだろうか? きっと娘の命を守るために、私が持っている財産のすべてを差し出すでしょう。
ですが、イブラヒムの父親は日雇いで働いていて、収入は1日わずか1ドルや2ドルで、全く稼げない日もあります。
イブラハムの世話をしている女性はおばあさんです。 母親は母乳を与えることができず、家で他の子どもの世話をしているそうです。おばあさんのひざに横たわるイブラヒムを、私は直視することができませんでした。
子どもの回復を心から喜ぶ母親たち
次に訪れた回復期病棟で、マーウォに会いました。 顔に跡が残っているのが分かりますが、マーウォは重度の急性栄養不良に陥り、チューブを通して栄養治療を受けていました。
他の子どもや母親たちが、あちらこちらに座っていました。 病院には十分なベッドがありませんでした。 一つのベッドに二人の子どもが横たわっていることもありました。 病院のスタッフは、「急激に患者数が増えたのです」と言っていました。
治療を受けたことで、マーウォはかなり回復しましたが、 栄養治療には長い時間が必要です。 マーウォの母親は、マーウォが長い期間を病院で過ごしたと言っていました。 今では体重も増え、退院まであと少しというところまで来ています。
回復期病棟の病室では、お母さんたちがとても幸せそうでした。顔にも会話にも、喜びや幸せが感じられました。 子どもたちはみんな、退院できる状態に近づいていました。言葉は通じませんが、会話や身振り手振りで、お母さんたちがとても幸せそうなのが伝わってきました。彼女たちは私のカメラに向かって、子どもの顔を見せてくれました。
病院を訪れてから、これまでの考え方が完全に変わりました。車に戻ると、朝、車の中にいた自分とは別人になっていました。これまで目にしたことがないほどの厳しい現実を、実際に目撃したのですから。
子どもたちや家族は悲惨な状況にあり、助けを本当に必要としています。 私は、自分にできる最善の仕事をしたいのです。 直面している問題や状況をカメラを通して映し出すことで、彼らの状況を伝える...これが広報専門官として私が手にしている唯一の手段なのです。
泊まっている宿舎に戻っても、次の仕事へ向けて頭を切り替えられず、あの子どもたちのことで頭がいっぱいでした。
国内避難民キャンプへ
モガディシュから飛行機に乗り、ドロー空港に着陸する前に、私は飛行機から写真を撮りました。大地はとても乾燥していました。干ばつの影響が見てわかります。私はここで人々が生活するなんて可能なのだろうかと思いました。木もなく、建物もなく、すべてが太陽の光に晒されているのです。
ドローの避難民キャンプに到着し、車から降りると、暑さが襲ってきました。気温は華氏91度(=摂氏32.7度)。撮影中もカメラがオーバーヒートしてしまうほどで、しばらく撮影を中断しました。
キャンプにいる人たちは何も持っていません。座るものもありません。枕も、カーペットも、食器もありません。私が普段活動をしているアフガニスタンでは、避難民キャンプには少なくとも枕とマットレスがありました。
そして、人々は水を求めて長い道のりを歩かなければなりませんでした。人々が暮らすテントは、毛布、防水シート、布切れ、プラスチックなどを棒で固定したものです。 私が滞在している間にも、新しい人々がやってきて、こうした簡易的テントを作り始めていました。
最も困難な状況に置かれるのは、子どもと女性たち
アフガニスタンや今回のソマリアでの経験から、危機の際に最も苦しんでいるのは、常に女性と子どもたちであることがわかります。
この写真でわかるように、そのほとんどが家族のために水を汲んでいる女性や子どもたちです。彼女たちはこの水場まで来て、裸足で水の入ったタンクを運ばなければなりません。とても重いのです。 中には妊娠している女性もいました。私も子どもの頃、干ばつが続く中、家族のために水を汲んでいましたから、水を詰めたタンクを運ぶ大変さはよくわかります。この女の子を見ると、子どもの頃の私を思い出します。
暑いのでタオルで顔を覆ってキャンプ内を歩いていると、後ろから男の子がついてきました。彼が何を言っているのか通訳に尋ねると、「僕の家を見に来て」とのことだったので、「よし、行こうか」と私は答えました。
彼の名前はイサック。12歳でした。 彼は太陽の下、裸足で地面を歩いていました。服はほとんど身に着けていませんでした。しかし、彼はキャンプを力強く歩いていました。「ポーズをとって」と私がカメラを向けて言うと、彼は家の壁に寄りかかって笑顔でポーズをとってくれました。
ゼイナブさんと彼女の夫は、8人の子どものうち3人を飢餓と病気で亡くしています。
ゼイナブさんは、人生で最も悲しかった瞬間は末娘を失ったときです、と泣きながら話してくれました。2歳のとき、重度の急性栄養不良になり、コレラにかかったそうです。現在、彼らの一番幼い子どもも栄養不良に陥っています。その女の子はとても弱く、下痢に苦しんでいます。
キャンプを出て、モガディシュに戻る飛行機の中で、私はひどく疲れていて、そして落ち込んでもいました。モガディシュの部屋に着いたとき、私は泣いていました。いつもは夜10時半くらいには眠るのですが、撮影した写真や動画を保存した後、その夜はまったく眠れませんでした。目を閉じると、自分が今日訪れたキャンプに戻っていて、子どもたちやその家族と一緒にいるように感じていました。
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アフリカの角とサヘル地域で進む干ばつ、緊急支援のニーズ高まる
8月23日から9月1日は「世界水週間」です。ユニセフは、深刻な栄養不良と水に起因する感染症のリスクが重なるアフリカの角とサヘル地域に緊急に支援をおこなわなければ、壊滅的な数の子どもが死亡する恐れがあると警鐘を鳴らしました。