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日本ユニセフ協会

お知らせ

「自分も行動していきたい」が、ユニセフと関わるきっかけに
長谷部誠 日本ユニセフ協会大使
現役引退後、初の親善大使活動

2024年8月22日東京

「こどものけんりプロジェクト」の応援キャラクター、ジーン&ケーンを紹介する長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

©日本ユニセフ協会/Amano
「こどものけんりプロジェクト」の応援キャラクター、ジーン&ケーンを紹介する長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

プロサッカー選手として現役を今年引退された、長谷部誠日本ユニセフ協会大使が、7月にユニセフハウスでのイベントに登壇。ユニセフとの最初の出会いや東日本大震災支援、そして2016年に大使就任してからの活動を振り返り、これからの思いを語りました。

きっかけは、機内のパンフレット

2012年公開、長谷部選手出演のユニセフの公共CM「FIRST TOUCH(ファーストタッチ)」の一場面

©日本ユニセフ協会
2012年公開、長谷部選手出演のユニセフの公共CM「FIRST TOUCH(ファーストタッチ)」の一場面

浦和レッズで活躍していた長谷部選手(当時)が、ユニセフ・マンスリーサポート・プログラムを通じて、毎月定額のユニセフ募金を始められたのは2007年のことです。

 「海外遠征の飛行機の機内で、ユニセフのパンフレットを手に取りました。その頃は、僕自身もプロのサッカー選手として、サポーターはもちろん、いろんな方からサポートしていただいている中で、自分も社会の中で還元じゃないですけど、何か自分も行動していきたいなと思っていた時期でした」

以来、長谷部選手は、個人として寄付を続ける一方で、日本ユニセフ協会からの依頼に応じて、ユニセフ公共CMへの出演などユニセフ支援の輪を広げる広報活動にも、ボランティアで協力くださいました。

東日本大震災で被災した幼稚園への支援

東日本大震災が発生した2011年、著書『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』の印税全額を、ユニセフを通じて東日本大震災支援に寄付することを決意。その行動は多くの反響を呼び、多くの人が被災地の復興への願いを共有しました。

2013年6月27日、宮城県南三陸町のあさひ幼稚園を訪問し、園児たちと一緒にお弁当を食べる長谷部誠選手(当時)。

©日本ユニセフ協会/2013/satomi matsui
2013年6月27日、宮城県南三陸町のあさひ幼稚園を訪問し、園児たちと一緒にお弁当を食べる長谷部誠選手(当時)。

「宮城県南三陸町に、あさひ幼稚園という、園舎が東日本大震災の津波で流されてしまった幼稚園があって、『心を整える』の印税で、園舎を再建させていただいたことがありました。

日本中の方々がこの本を読んでくださって、僕がこの本の印税は東日本大震災支援に使いますとお伝えしたことに多くの方々が共感してくださって、このような大きな支援の形になりました。

お金ではない、何か大きなものを、僕自身もいただきました。南三陸のあさひ幼稚園のためにみんなで行動できたということが、すごく嬉しかったですね」

震災から時が経つにつれ、少しずつ世の中の被災地への関心が薄れてくる状況であっても、長谷部選手は短期間のオフの合間を縫って、毎年のようにあさひ幼稚園の子どもたちのもとを訪れました。

「足を運ぶことによって、子どもたちと一緒に遊んだり、東北地方の震災からの復興を目の当たりできました。支援の呼びかけに答えてくださった皆さんに、自分を通して伝えるためにも、毎年足を運びました。」

現在も交流が続いているあさひ幼稚園の園児や卒園生の子どもたちから届いた映像には、「お弁当を一緒に食べたのを覚えています」「幼稚園の頃にしてもらったドリブルは、高校に入った今でも、鮮明に覚えています」「日本代表の監督になって、ワールドカップで優勝してください!」「またきてね」「ありがとう!」といったメッセージがありました。

映像を見た長谷部大使は、「非常に嬉しいです。何より、あの時の子どもたちが、これだけ大きくなって...。きっと彼たち彼女たちが、 南三陸町、そして東北地方の未来になっているって考えると、すごく感慨深いです」と話し、ぜひまた南三陸町に遊びに行きたい、と笑顔を見せました。

「子どもの権利」を語る大使に ~ ユニセフの大使としての活動

2019年6月6日、バングラデシュ・コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで、雨の中子どもたちとボールを追いかけ、笑顔でハイタッチを交わす長谷部大使。

© 日本ユニセフ協会/2019/tetsuya.tsuji
2019年6月6日、バングラデシュ・コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで、雨の中子どもたちとボールを追いかけ、笑顔でハイタッチを交わす長谷部大使。

ユニセフ大使が担う重要な役割の一つが、世界の子どもたちが直面する問題を訴え、子どもたちへの支援を呼びかけることです。社会的に影響力のある著名人やスポーツ選手が、ユニセフの支援現場を訪れることで、世界の厳しい状況にある子どもたちのことやユニセフの活動について、より多くの人に知っていただくきっかけにもなります。

長谷部大使は、2016年の大使就任前から、地震・津波で被災したインドネシアのスマトラ島(2014年)、デンマーク・コペンハーゲンにあるユニセフ物資供給センター(2015年)を訪れており、大使就任後も、エチオピア(2017年)、ギリシャの難民キャンプ(2018年)、バングラデシュにあるロヒンギャ難民キャンプ(2019年)と、世界各地のユニセフの支援現場を訪問し、子どもたちが直面する問題を訴えてきました。

「僕はサッカー選手ではあったけど、それ以前にひとりの人間として、厳しい環境で生活している子どもたちのもとを訪れて、人としてすごく多くのものを感じました。そして、社会の中で自分に何ができるかということを考え行動するという、自分が生きる意味のようなものを感じられることが多かった。そういう意味で、支援の現場に足を運ばせていただいているということは、自分にとってすごく大きなことですね」

現役引退、これからについて

イベントに登壇し、今後の目標について語る長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

©日本ユニセフ協会/Amano
イベントに登壇し、今後の目標について語る長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

このイベントの登壇が、サッカー選手としての現役引退後初めての親善大使活動となった長谷部大使。これからの大使活動について、思いと抱負を述べられました。

「サッカー選手としての現役を退いて、これからは少し時間ができそうだと思っています。世界の厳しい環境で生活している子どもたちのもとを訪れたいですし、子どもの権利を語れる大使として、さまざまな活動をしていけたら嬉しいです」

今回長谷部大使が登壇したイベントは、日本ユニセフ協会とこども家庭庁による子どもの権利の啓発普及キャンペーン「こどものけんりプロジェクト」の報道発表会。日本国内における「子どもの権利」の正しい理解と普及を通じた子どもたちのウェルビーイングの向上に資することを目的としています。

長谷部大使は、「こどものけんりプロジェクトを通じて、子どもの権利についてもっと勉強していけたらと思っています」と、新たな目標の一つを語りました。

ジーンとケーンと一緒に、「こどものけんりプロジェクト」を通じて、子どもの権利についてもっと勉強していけたら、と語った長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

©日本ユニセフ協会/Amano
ジーンとケーンと一緒に、「こどものけんりプロジェクト」を通じて、子どもの権利についてもっと勉強していけたら、と語った長谷部誠大使。(2024年7月31日撮影)

 

 

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