2023年7月18日ウクライナ発
ウクライナで紛争が激化してから500日が過ぎました。恐怖や危険と隣り合わせの500日間、子どもたちは自宅、学校、保健医療、安全な水さえも失い、避難生活を余儀なくされました。シェルターが遊び場になり、地下鉄駅のベンチがベッドの代わりになり、学校のチャイムの代わりに空襲警報が聞こえるようになりました。
ウクライナの子どもたちは、“子どもらしくいられる日常”を奪われたのです。
奪われたもの:安心できる家
2022年2月24日以降、何百万もの人々がウクライナ国内外に逃れ、子どもたちの実に3分の2近くが自宅からの避難を強いられました。
2児の母親であるユリアさんは、爆発音が響くハルキウから、ドイツに避難してきました。移動には1週間を費やし、その間、1歳の娘と9歳の息子と一緒に、商業ビルの床や、幼稚園の小さなベッド、木のベンチ、車の中で眠りました。 「それでも、戦火にさらされるよりいい」とユリアさんは話します。
難民になることを夢見る人なんていません。ユリアさんもそうでした。自分のアパートを持ち、子どもたちと一緒に船で旅をすることを夢見ていました。しかし、その夢は紛争によって打ち砕かれました。今は、紛争が終わりウクライナに戻れることだけを願っています。
「目標はひとつだけ。子どもたちを守り、生き延びることです」。
奪われたもの:学校と教育の機会
ウクライナでは、約530万人の子どもたちが教育の危機に直面し、そのうち約360万人が学校閉鎖の直接的な影響を受けています。国外に逃れた子どもたちの3人に2人は、受け入れ国の教育を受けることができていません。ウクライナ教育科学省によると、昨年2月24日以来、2,600以上の学校が被害を受け、400以上の校舎が破壊されました。
ヴィカ(8歳)は、紛争が激化した当時、小学1年生でした。「学校で勉強するのが大好きだったけど、戦争のせいでできなくなったの」。
ヴィカは8歳にして、すでに2度の紛争を経験しています。生まれたときは、ウクライナ東部における武力衝突の真っただ中で、そして今再び、戦時下の爆発音が鳴り響く中で、スクールバッグに荷物を詰めて逃げてきたのです。自宅を失い、学校も教育の機会も失いました。
幼稚園をはじめとする就学前教育施設もまた、閉鎖を余儀なくされました。ミロスラヴァ(7歳)は、卒園式に出るという夢を、紛争で打ち砕かれました。
「これは、幼稚園の卒園式に着るはずだったドレス。でも戦争が始まって、卒園式がなくなっちゃったの」。
奪われたもの:太陽の光と暖かい部屋
砲撃や空爆から逃れた多くの子ども連れの家族が、地下室や地下鉄駅、地下駐車場などに身を隠しました。太陽の光が入らない暗くて寒い地下が、多くの子どもたちの家になりました。1年以上が経過した今も、地下での暮らしは続いており、温かい食事や薬が手に入らないこともあります。多くの子どもたちが望み始めているのは、ただ太陽の光を見たい、ということだけです。
何千もの人々の避難所となっていたハルキウの地下鉄駅。ソーニャ(10歳)と母親も、数カ月間、地下鉄の車両で暮らしました。
「今日はママと一緒に家に帰って、シャワーを浴びたり、荷物を取って来たりしたんだよ。すごく怖かった」。
紛争が激化したとき、マリウポリで暮らしていたダニーロは、わずか4歳でした。両親と弟と一緒に、電気も水もなく、助けが来る望みもないまま、地下室に隠れて1カ月を過ごしました。
「他の子どもたちもいたけど、居心地は良くなかった。床や石の上で寝起きして、食べ物もほとんどなくて、チーズのかけらをママと分けて食べたんだ」。
ダニーロは、地下室で、両親がろうそくで食事を温めていたことを思い出します。破壊されたマリウポリから脱出することはできましたが、今でも暗闇と大きな音に恐怖を抱きます。
奪われたもの:大切な家族
戦火にさらされ続け、最も大切な家族の死という最悪の光景を目にした子どもたちもいます。
「クラマトルスク駅でお母さんの写真を撮りました。この写真がお母さんの最後の写真になりました」とカティア(13歳)は振り返ります。
その日、カティアは、姉と母、叔母とともに、鉄道のクラマトルスク駅にきていました。町があまりにも危険なため、一家は、ウクライナ中西部のヴィンニツアに逃れようとしていたのです。しかし突然、クラマトルスク駅がミサイルで爆撃されたのです。
爆撃に巻き込まれたカティアは、病院に運ばれました。「入院中、フェイスブックを見ていたら、自分のことが投稿されていました。人々が私の治療費を集めてくれていることが書かれていました。そして母が亡くなったことも」。カティアの親族は、彼女を心配して母の死を話していなかったと言います。
「ひどい経験を乗り越えるため、心理カウンセラーやお医者さんの治療を受けています。精神的にとても辛いです」。
ミキータ(16歳)は、バフムトの猛烈な砲撃を生き延びました。「砲弾の破片が当たり、心臓から1ミリのところで止まりました」。そう言って、胸から取り出された金属片の大きさを指で示して見せます。約3センチの鉄の破片が、もう少しでミキータの命を奪うところだったのです。
命を取り留めたミキータですが、親戚と生まれ故郷を失いました。「大切な人を失ったり、家を壊されたりすると、言葉にできないほどの痛みを感じるんだ」とミキータは涙をぬぐいます。
医者は、ミキータは順調に回復するだろうと話します。しかし、身体の傷は目に見えても、心の傷の深さは計り知れません。
奪われたもの:安全な環境
紛争激化以降、子どもたちは地雷や不発弾の危険にもさらされています。手榴弾などの爆発物をおもちゃだと勘違いして触れてしまい、犠牲になる子どもたちが多いのです。リマン出身のウラジスラフ(8歳)も、そんな子どもたちのひとりです。
ウラジスラフは、踏切に放置されていた焼け焦げたタンクの近くで、不発弾を見つけて手に取りました。
「大きな爆発が起きて、体から血が流れて、腕の感覚がなくなった。病院でお医者さんが破片を取り除こうとしたけど、うまくいかなかった。まだ体の中にあるんだ」と右の肩甲骨の上に残る傷跡に触れるウラジスラフ。最近やっと自由に腕を動かせるようになり、痛みも感じなくなったと言います。しかし不発弾の恐怖は、今も彼を苦しめています。
ウクライナ東部で9年以上続く武力衝突と、2022年2月24日に激化した紛争によって、ウクライナは世界で最も爆発性戦争残存物の影響を受ける国のひとつになりました。国土の約30パーセントに地雷や不発弾が残っている可能性があり、多くの子どもたちの命を奪う原因となっています。治療を受けて生き延びたとしても、傷ついた子どもたちの多くは、身体に障がいが残った状態で、その後の人生を暮らさなければならないのです。
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ユニセフはウクライナの子どもたちへの緊急人道支援として、医療ケア、予防接種、栄養、教育、水と衛生、心理社会的支援などを継続して提供しています。また、難民を受け入れている周辺国においても、政府や自治体、現地のパートナーと協力し、難民の子どもたちへの教育、保健、保護分野における、各国の支援制度の強化を続けていきます。
ユニセフはこれまでに、180万人以上の子どもたちに正規または非正規の教育の機会(就学前教育を含む)を、340万人以上の子どもたちと保護者に心理社会的支援を提供しました。また、550 万人以上の人々が安全な水を利用できるよう支援しました。
■ユニセフ「ウクライナ緊急募金」ご協力のお願い
2022年2月にウクライナで戦闘が激化してから500日。
子どもたちは今なお暴力にさらされ、家からの避難を余儀なくされ、恐怖や不安、悲しみの中で暮らしています。
ユニセフはウクライナや周辺国において、子どもたちと家族のために、保健ケア、予防接種、栄養、教育、水と衛生、心のケアなどの支援を続けています。
その活動を支えるため、日本ユニセフ協会は、ユニセフ「ウクライナ緊急募金」を受け付けております。
避難を余儀なくされ、教育の機会を奪われ、恐怖におびえ心身ともに影響を受けている子どもたちとその家族に、人道支援を届けるため、ご協力をお願い申し上げます。