2024年3月14日パレスチナ・ガザ発
がれきの中を一人の男の子が歩いています。以前ここにはアパートが建っていて、たくさんの人が暮らしていました。男の子もそのうちの一人です。ある日突然、爆撃によって破壊されてしまったのです。
「ぼくの家も、ぼくの部屋も、ぼくの夢も、全部この戦争で壊されました」(モハメド、9歳)
戦闘の激化により、パレスチナ・ガザ地区は、子どもにとって世界で最も危険な場所となっています。ガザ全域のすべての子どもたちが、悲惨な攻撃にさらされ、暴力を目の当たりにしています。子どもが決して経験すべきでない物事を、ガザの子どもたちは日常的に経験しています。
ガザでは約170万人が避難民となり、その半数が子どもたちだと推定されています。安全を求めて自宅を離れた家族は、十分な水も食料も、適切な保護もないまま、過密状態の避難場所などでテント暮らしをしています。雨が降るとテントは浸水します。手に入るわずかな食料も、子どもたちが必要とする量には足りません。食料不足の影響で、何千人もの子どもたちが栄養不良に陥り、病気にかかっています。
避難してもなお、爆撃の恐怖の中で暮らすガザの子どもたちと家族の切実な声をお聞きください。
爆撃に遭い、怪我をしたメイズ(13歳)
「この戦闘が始まったとき、私は中学2年生でした。海岸沿いの良い場所に住んでいました。波を見て過ごすことが一番の楽しみでした。携帯電話を使ったり、友だちとおしゃべりしたり、ゲームをするのも好きでした」(メイズ、13歳)
戦闘が激化して1カ月もたたない、昨年10月末のことでした。メイズは自宅の庭にいて、家の外壁にカバンを立てかけて置いていました。その壁の向こう側には部屋があって、2人の姉妹がいました。
「姉たちの笑い声が、聞こえていました。次に覚えているのは、シファ病院にいたこと。あの笑い声が、あの夜の最後の記憶です」
メイズはがれきの下からなんとか助け出されましたが、足を怪我して、車いすを使っています。
「火傷を負いました。足は骨折の状態がひどく、ピンで固定されています。今でも毎日痛みます」。
自宅の部屋で笑っていた2人の姉妹は、その爆撃で命を落としました。
「こんなことは終わりにしたい。学校に行きたい。友だちとまた会いたい。ここから抜け出したい。平和になって、どこか安全な場所で暮らしたい」
家族を失う恐怖におびえるカリーム(11歳)
「家族のことを愛しています。戦争で、家族が殺されたらどうしようって不安です。いつもそのことを考えています」(カリーム、11歳)
戦闘激化の前に暮らしていた場所にいつか戻れるかもしれない、とカリームは考えることもあります。しかし、常に頭の中にあるのは、家族を失うかもしれないという恐怖です。
ユニセフの今年1月時点の推計では、ガザ地区で保護者などおとなの同伴者がいない、あるいは保護者などと離ればなれになっている子どもが、少なくとも1万7,000人います。その子どもたち一人ひとりが悲惨な経験をしていることは、想像に難くありません。
漁港に避難する8人家族のハディール(8歳)
「友だちに会いたい。良い知らせが来たらいいなと祈ってるの」(ハディール、8歳)
ハディールは両親と5人のきょうだいとの8人家族です。一家は、昨年ガザで戦闘が激化した直後、自宅からの避難を余儀なくされました。南部のラファに到着した時、避難場所がなく、一家は路上で3日3晩を過ごしました。そして、親切な地元の漁師に出会って沿岸の漁港に連れて来てもらい、今はここで避難生活を送っています。
ハディールの母親ハナディ(32歳)は、ラファの漁港にたどり着くまでの出来事について、悲しげに語ります。
「爆撃に遭い、怪我をして、私たち家族はとても苦しみました。死と隣り合わせの状況から逃れられるなんて、想像もできませんでした。でも、ここでも子どもたちは、寒さや飢え、途方もない不安に苦しんでいます」。
ハナディは、子どもたち、特に生後5カ月の幼いアハメドを心配しています。
「食べ物も飲み水も足りなくて、アハメドに十分な栄養を与えられません。私たちはまた、不衛生な状況にも苦しんでいます。トイレも衛生用品もありません。子どもたちをなんとか清潔に保とうと頑張っていますが、とても難しいのです。海で体を洗い、浜辺で排泄をしているのですから」(ハナディ)
さらに、気温が下がる夜間、一家は厳しい寒さにさらされますが、火を灯して暖をとることさえできません。「軍艦が夜間に動くものを標的にするので、火をつけることができないのです」と父親のイハブ(43歳)が語ります。
「戦争が終わって、夏には家族と一緒に海に来て、浜辺でのんびりできることを願っているの」(ハディール)
厳しい状況のなかでも、希望を捨てないアヤ(16歳)
「トイレに行くのも大変です。長蛇の列で、2時間はかかります。だから私たちは、トイレではなく他の場所を探して用を足すことが多いです」
アヤは、戦闘が激化する前は友人たちと毎日を楽しく過ごしていました。家族と暮らし、友だちと遊んだり出かけたりしていました。突然、戦争が始まり、爆撃から逃れるため、家族とともに自宅からの避難を余儀なくされました。つい先日、ガザ地区のアル・アクサ大学に避難所が開設され、今はそこに身を寄せていますが、それまでは路上での寝泊まりを余儀なくされていました。
「毛布もマットレスも持っていませんでした。今ここにあるものはすべて他の家族から借りたものです。避難している人たちはみんな、寝具を分かち合って使っています。私の家族はみんなで16人いますが、マットレスと毛布は1枚を2人で使っています」とアヤは説明し、基本的な生活必需品が不足していると語ります。
「何もすることがないとき、ひとりで座っていて気分が落ち込みます」と言うアヤですが、未来への明るい希望を持っています。「いつか家に戻れたら、一生懸命働いて、それから海外に行って勉強しようと思います。何をしたいかはまだわかりません。戦争が終わってから決めます」
ガザ地区で戦闘が激化してから5カ月以上が経ち、人道状況は悪化の一途をたどっています。
避難民となった子どもたちや家族は、安全な水を手に入れられず衛生設備もない状況のなかで、病気を予防するために不可欠な、衛生的な生活を送ることができません。そのため、ガザの子どもたちの健康リスクも日に日に増大しており、5歳未満の幼い子どもが下痢にかかるケースも急増しています。ガザで機能している数少ない病院は、戦闘による多数の負傷者の対応に専念しているため、そうした感染症の蔓延に対して十分な治療や予防処置をとることもできません。
昨年10月の戦闘が始まって以来、ユニセフはガザ地区にワクチンや医療品、衛生キット、栄養補助食などの重要な支援物資を届け続けています。また、テント、防水シート、毛布、防寒着を避難民に提供するとともに、心理社会的支援サービスも提供しています。過密状態の避難所にいる国内避難民の衛生状況が悪化していることを受け、ユニセフとパートナーは、南部のハンユニスとラファに70カ所の衛生施設を設置しました。
しかし、人道アクセスも困難を極めるなかで、高まり続けるニーズに対して十分な支援が届けられていません。ユニセフは、避難を余儀なくされている何十万人もの子どもたちを含め、最も弱い立場にある子どもたちに支援を届けるために、安全が確保された人道アクセスを必要としています。ガザの子どもたちには、持続的な人道的停戦が、今こそ必要なのです。