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アフリカ干ばつ緊急募金 第91報
チャド:子どもの命を栄養不良から救った母親の強さと献身的な愛情

【2013年1月18日 チャド発】

バンダ村には、土壁の家が整然と立ち並び、それぞれの家は、木製の柵で仕切られています。その柵の間からは、好奇心旺盛な子どもたちが顔を覗かせ、訪問者の様子を食い入るように見つめていました。

そうした子どもの一人、アドゥム君(2歳)は、クスクスと笑いながら、母親のゼイナバ・イッサさんの方を振り返りました。アドゥム君は、母親に輝くような笑顔を向け、イッサさんも、笑顔で見つめ返します。イッサさんは、アドゥム君より年上の4人の子どもたちに囲まれて、自分で編んだ敷物の上に座っています。

苦しい日々

© UNICEF Chad/2012/Asselin
年上の兄弟たちと一緒に、歩いたり、走ったり遊んだりするアドゥム君(2歳)。僅か数ヵ月前まで、アドゥム君は立てないほど衰弱していました。彼は、サヘルの栄養危機の最中で運命の分かれ目に立たされた何百万人の子どもの一人なのです。

イッサさんの家族は、去年見舞われた不作の影響で、毎日食べることに苦心していました。家族の大黒柱として、イッサさんはひとりでこの負担を背負っているのです。

イッサさんの夫は、アドゥム君が生まれてからすぐに出て行ってしまいました。その数ヵ月後、収穫高が減り、食糧備蓄が底をつく‘飢えに苦しむ時期’の只中で、アドゥム君は、歩行も困難なほど衰弱してしまいました。「アドゥムは、生まれた時は、とても大きな赤ちゃんだったんです。でも、成長して離乳食の時期になっても、食べさせるものが何もありませんでした。下痢をするようになって、全身がやせ細り、衰弱していきました」

イッサさんは、「マラブー」と呼ばれる伝統的な医師兼薬剤師のところに相談にいきましたが、アドゥム君の容態は良くなりませんでした。イッサさんは、ますます不安になっていきました。

ユニセフの検診

© UNICEF Chad/2012/Asselin
不作、慢性的な貧困、限られた保健サービスによって、最も厳しい立場の子どもたちが、この危機の影響を最も受けているのです。

それから数週間後、ユニセフのスタッフが、子どもの栄養状態を調べにバンダ村にやってきました。アドゥム君は、地元政府の支援を受けて設置された外来治療センターを紹介されました。そこで、すぐに口にできる栄養治療食を処方され、ユニセフの研修を受けた保健員が2ヵ月間、アドゥム君の様子を見守り続けることになりました。

イッサさんは、蚊帳と石けんを配布された他、アドゥム君が再び栄養不良に陥らないようにするための簡単な方法も教わりました。

数ヵ月前までは歩けないほど衰弱していたアドゥム君でしたが、今は、年上の子どもたちの一言一言全てに興奮した様子を見せるほど、元気一杯です。

そして、雨が、今年のよりよい収穫をもたらしてくれることが期待されています。

飢餓の脅威に備える

© UNICEF Chad/2012/Asselin
草で編んだ手作りの品物を見せるイッサさん。アドゥム君が病気のとき、母親のゼイナバ・イッサさんは、栄養治療センターに連れて行きました。そこでは、再発を予防する方法も学びました。

イッサさんのような非常に厳しい立場にある家族にとって、次の収穫は、この一年の食料との闘いの日々に終わりを告げるもの。しかしながら、収穫高が減る‘飢えに苦しむ時期’は、毎年訪れます。飢餓の脅威は、決してなくならないのです。

イッサさんは、家族のために、気を緩めることはありません。夫が出て行ったとき、彼女は、野草を使って、敷物や帽子、かごなどを手作りし、市場で売りはじめました。「気を引き締めなければなりませんでした」と、イッサさん。「ご覧のとおり、とても厳しい状況です。ですから、編み物や、農業を学びました」。しかし、イッサさんと同じく貧困に直面している全ての人々と同様、この困難に立ち向かう方法は、限られています。「私の人生の主な目的は、子どもたちを食べさせることです。これが、私ができる全てですから」「子どもたちを学校に通わせてあげたい。でも、今はその余裕がありません」

2012年の栄養危機では、イッサさんのような母親の強さと献身的な愛情が、たくさんの子どもたちの命を救いました。ドナーの皆さまのご支援により、ユニセフは、こうした母親を支援することが可能となったのです。

最も弱い立場の子どもたちに手を差し伸べる栄養治療センターの設置は、本来救えるはずの命を救うだけでなく、この国の未来を築くアドゥム君のような子どもの成長を支援することに繋がるのです。