■栄養不良とジェンダーの問題 -2-
(質問・MANZUEさん)
長年培われてきた社会構造・風習のようなものがある中で、その地域に適した形で「子どもの命を守る」活動をするには測り知れないご苦労があると思います。・・・・活動の中での嬉しい体験・つらい体験など、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
<岡村恭子> エチオピアは本当に多様性の国で、農耕民族もいれば、遊牧民もたくさんいますし、わらの腰巻きのような服で伝統的な生活している民族もいれば、小規模ながらどんどんビジネスを進めていくグループもいます。
サスナビリティや伝統的な生活・文化の問題はすごく複雑で、私程度の限られた経験ではなかなか何も言えず、いろんな意味でまだまだ模索しているのですが・・・。 でも、時々はっとさせられるのは、親の子どもに対する気持ちです。 少なくとも私がこれまで見てきた親たちは、「子どもに健康に育ってほしい」という、どこかで共通する思いを持っていて、それは必ずしも伝統的な生活や文化、環境を破壊するような開発をしなくてもある程度はかなえられると思うのです。
伝統医療の祈祷師さんを使ってきた人たちに対して、近代的な保健医療サービスを利用することを奨励するのは、ある意味で伝統を変えてしまうきっかけの一つかもしれません。それを良しとしない意見の方もいて、それも広い意味ではもっともなのかなーと思ったりもします。
ただ、私が個人的に今の時点で感じているのは、「子どもにちゃんと育って欲しい」という価値観を強くもっている親たちが、個人として、また社会の一員として、その問題に取り組むということ自体は、彼らを世界経済の中に放り込む/切り離す、環境・伝統を守る/破壊するということとは少し次元が違っていて、それ以前に自分たちの未来を一番身近なところから作っていくという事ではないかと。
開発や経済のグローバル化は確実に起こっています。子どもの健康や栄養を考えるということが、むしろ家族や村の力を育てる一つの窓口になる・・・かな? 長い目で見た時にそうであればいいな・・・、 なんてつらつらと考えたりしますが、どうでしょうか。
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© UNICEF/HQ03-0273/Esben Harboe |
ユニセフとしては、子どものより良い未来のためにも、持続可能な環境にやさしい開発を進めましょうと言ってきましたが、現場で実際に何をどうすればいいのか、というところはまだまだ未開発かもしれません。
<錦織信幸>開発の波に飲み込まれるよりも、伝統的生活を守る方が人々のためには結局良いのではないかという疑問は、本当に答えのない疑問です。私も10年くらい前、大学を出たばかりの頃は畑生さんのような考えと、きわめて西洋的な医療介入の考え方(それが医者の仕事ですから)の狭間で結構悶々としていたのを思い出します。
その後の経験を踏まえて、今の私の考えは、もちろん不必要な開発は要らないかもしれないけど、その伝統が受け入れられる範疇で変えた方がいいことはたくさんあるという現実的な思考です。とくに子ども生存に関わる重要な介入はどんな文化のなかにも受け入れられていくような努力をする必要がある(少なくとも我々は)と思います。
子どもの生存、健康、発達を社会の価値としていない文化もたくさんあるのですよ(日本だってまだまだそうかもしれません)。岡村さんの書き込みの中にも「子を思う親の気持ちは普遍である」という側面と、「それでも女児を差別しなければいけない強固な社会文化基盤がある」という側面が両方でてきているでしょ?
もちろん押し付けの行動変容は好ましくないけれど、地道な情報提供と話し合いに基づいてのいわゆる「情報を得た上での決断 Informed decision」の小さな積み重ねが、社会としての行動変容(ある意味新しい文化の創造)に繋がっていく。究極的にはユニセフの仕事のなかでもっとも重要な要素は、(ワクチンを買って与えることではなくて)こういう仕事ではないかと思っています。