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ヒマル 16歳 ネパール
ネパールで暮らすヒマルは、貧困と武力紛争から逃れるため、お父さんに無理やりビラトナガールという町に送られ、お手伝いさんとして働いています。ヒマルは学校に通えずにいますが、最近、読み書きを勉強しはじめました。
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ヒマルは、ヒマラヤ山脈の丘陵地帯にある街、ウダヤプールで育ちました。彼はずっとでこぼこで急勾配の山道をお父さんと一緒に荷物を運ぶ仕事をしてきました。そんな中、彼は去年の夏、生まれて初めて飛行機に乗り、ヒマラヤ山脈の素晴らしい峰々に感動しました。
学校にも数日しか通ったことのない16歳の少年には、どんな小さなことでも大きな体験なのです。
ヒマルは8人きょうだいで、家族は生活していくのにやっとです。収穫するトウモロコシからはわずかな収入しか得られないため、お父さんが1年の半分以上は出稼ぎに行き、運搬人として働いています。
他の少年たちと同じように、ヒマルはお父さんを手伝い、荷物を運び、お母さんとお姉さんたちは、家に残って家事をします。ヒマルの一家にとって生計を立てることは教育よりも大事なことで、ヒマルは約1週間しか学校に通ったことがないのです。
ウダヤプールで、ネパールの君主制を倒そうとする毛沢東主義の反政府勢力の影響が強くなり、ヒマルのお父さんは息子の将来をとても心配するようになりました。反政府勢力はヒマルのような若い少年たちを自分たちの革命に惹きつけようとしましたがうまくゆかず、直接、各家庭につき10代の子ども1人を軍に出すことを求めるようになりました。
当時14歳だったヒマルが無理やり反政府軍に徴兵されるのを避けるため、お父さんはヒマルをネパールの第2の都市ビラトナガールに避難させました。そこでヒマルは使用人の仕事に就き、牛の世話をしたり、家の掃除をしたりして月に7米ドルを稼ぎました。
ネパールの地方都市に暮らす貧困家庭の間では、子どもが都会に出稼ぎに出されるのはよくある習慣でした。しかし、政治的内紛がはじまった1996年から、この傾向は急激に強まりました。親たちは、都市部にいるほうが、子どもたちが反政府勢力の手から守られ、稼ぎも良く、教育の機会も与えられると考えたのです。
ヒマルはビラトナガールに来たことで反政府軍への徴兵を免れることができましたが、学校へ通うことはまるっきりの夢でした。ところが、地域のNGOの代表がヒマルの主人のところへやってきて、学校外教育プログラムにヒマルを通わせるように説得しにきてくれたのです。これを機にヒマルは教育を受けるチャンスを手にしました。
このNGOは貧しい子どもたちの中でも特に使用人として働いている子どもたちを訪ね、学校外教育の機会を提供する活動を行っています。NGOのスタッフはビラトナガールの周辺地域をくまなく調査し、学校へ通っていない子どもたちを特定します。次に子どもたちの主人に会い、一日に2時間の授業を受けさせるよう説得するのです。この教育プログラムでは、10ヶ月のコースを2回続け、読み書きと算数の基本を集中的に学びます。プログラムを修了すると通常の小学校の5年生か6年生に編入することができます。
通常の授業に加えて、子どもたちは同じように働く子どもたちのクラブに参加することができます。クラブでは、本やテレビを利用したり、ダンスや劇に参加したり、彼らの持つ権利について学んだりすることができます。
いま、ヒマルの1日は、牛の世話をして、学校へ行き、クラブ活動にも参加し、大忙しです。友達といるときのヒマルの顔つきは目に見えて明るくなります。ヒマルはようやく最初の10ヶ月のコースを修了し、読み書きや基本的な足し算と引き算はできるようになりました。ヒマルはもっと勉強して、正規の学校に進学し、将来は銀行員になりたいと夢見ています。
ヒマルは、良い役者にもなれるということもわかりました。クラブの友達と一緒に“国際児童労働反対デー”に向けて準備した劇が、ILO(国際労働機関)がビラトナガールで開いたコンテストで優勝したのです。昨年の夏、韓国で開かれた若者のフェスティバルに、ヒマルはネパール代表として選ばれた10代の若者5人の一員として参加しました。ヒマルはネパールの伝統的なダンスを披露し、32か国から集まった若者と会いました。
しかし多くのネパールの子どもたちはヒマルのようにチャンスに恵まれているわけではありません。小学校を5年生まで修了できる子どもは、入学した子どもの65%、中等教育へ進学するのはわずか31%です。ネパール人の3分の1以上が一日1ドル以下で生活しており、初等教育は無償であるにも関わらず、多くの親は制服や教材、文具を購入する余裕がないのです。教育の機会を増やし、教育の質をあげる努力が求められています。
ヒマルの映像はこちらから(英語)
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