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ユレイニ 13歳 <ベネズエラ>

ベネズエラ・カラカスの郊外にあるスラムで暮らすユレイニは、お母さんと義理のお父さんが仕事に出ている間、4人のきょうだいの世話をし、家事をこなします。最近、彼女はこれまでにかなえられなかったあることができるようになりました。それは、学校へ通うこと!

 

ユレイニはベネズエラの首都カラカス郊外の丘陵地帯にあるスラムの一つ、バリオ・ペターレに住んでいます。周囲の何千もの家屋はトタンの切れ端や厚板、ほんの少しのれんがを大雑把に積み上げて建てられています。ユレイ二が母親と義理の父親、4人のきょうだいと暮らしている家は、このペターレの水準からいってもさらに荒れ果てたものです。

ユレイ二は、お母さんと義理のお父さんが仕事に出かけている日中、4人の弟や妹の面倒を見ています。古いコンロで食事をつくり、洗濯をして、家を取り囲む瓦礫の真っ只中で鉄板に洗濯物を干すのが日課です。

しかし、2004年から彼女はこれまでにかなえられなかったあることができるようになりました。それは、学校へ通うことです。地域のNGOと、ユニセフ、ユニリーバによる共同プロジェクトのおかげで、ユレイ二はペターレの取り残された子どもたちに教育の機会を与えるために設けられたコミュニティの教室に通うことができるようになったのです。

「学校に行くことは私の人生を変えました。たくさんのことを学んで、友達もできました」とユレイ二は言います。「私が一番好きなのは先生です。先生は私の話をじっくり聞いてくれるし、すごく優しいから」

コミュニティの教室は、ユレイニのほか、5000人の女子と男子の安全地帯になっています。これまで、このコミュニティの教室に通ったた子どもたちの60%が、正規の学校に編入することができました。

学校へ通うことは、ユレイニにとって簡単なことではありませんでした。ユニセフが最初にユレイニの状況を調査したとき、ユレイニは、両親は亡くなっており、一緒に暮らしているのは姉とその夫、甥たちだと言いました。しかしよくよく聞いてみると、最初にユレイニの姉だと聞かされていた女性が実はユレイニの母親であり、二人は嘘をついていたと明かしました。本当のところ、ユレイ二の母親は16歳の時にユレイ二を産みましたが、ユレイ二の出生登録を行わず、カラカスで仕事を探す間、コロンビアに住むユレイ二の祖母にユレイニを預けていたのでした。

2002年に祖母が亡くなると、ユレイ二は母親の所にもどされ、新しい父親と4人の子どもと一緒に暮らすことになりました。しかし、出生登録がなかったため、ユレイ二は学校に行くことはできませんでした。そこで、母親はユレイ二には両親がいないので必要な書類を持っていないと言うことにしたのです。ユレイニの話は、いかに貧困や10代の妊娠、出生登録の不備が、何世代にも影響を与え、ものごとを複雑にするのかということを教えてくれます。

まだ若いのに、多くの困難に直面したためか、ユレイニは年齢よりも賢くなったようです。「学校に行かない近所の子どもにどんなことが起きたか見てきたわ」とユレイ二は言います。「彼らはシンナーを吸ったり、お金をせびったり、トラブルに巻き込まれたりして毎日を過ごしている。かわいそうだと思うわ。」

彼女は、貧困のためにほとんど教育を受けられなかった女の子に何が起こりうるかもよくわかっています。
「私は結婚して子どもを産みたくない。少なくとも今すぐには嫌です」とはっきり言います。「私は働きたいし、勉強がしたい。私の知っている女の子のように、13歳で妊娠したりしたくないのです。」

ユレイニの映像はこちらから(英語)

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