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中国大地震 第17報
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© 日本ユニセフ協会 |
地震で廃墟になった都江堰の商店街。 |
「仕事中、崩れてきた建物の下敷きになって命を落としました。40歳でした。最初のうちはとても不安で、怖くて仕方がなかった。でも、今はだいぶ・・・」。6月27日(金)、四川省安県の永安(えいあん)のテント村を訪れたアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使。そこで出会った14歳の少女は、地震でお父さんを失った体験を語ると、こらえていた涙を流しはじめました。
「涙は思いっきり流そうよ。でも、涙が乾いたら、強く頑張ろうね。お母さんを守ってあげなきゃね。」
語りかけるアグネス大使に、少女は強く頷きました。
建物の98%が使えなくなった街
死者7万人、怪我人37万人あまりを出した四川大地震の発生から1ヶ月あまり。26日夜四川省の州都成都入りしたアグネス大使は、翌27日早朝から、精力的に被災地の訪問を続けています。
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最初に訪ねたのは、世界遺産としても知られる観光地、都江堰。大きな建物が建ち並ぶ街並みは、一見「何も無かった」かのように映ります。しかし、表通りの歩道には、仮設テントやプレハブが延々と・・・。まるで縁日の屋台村のように見えるその姿は、実はその背後に立つ使えなくなった建物の前で営業を続ける商店や銀行の姿でした。建物の98%が全半壊のため使用禁止となってしまったこの街。観光客も戻りはじめ、復興への歩みも着実に始まっているように見えますが、未だに多くの人々が、仮設テントなどでの不自由な生活を余儀なくされています。
「売り上げは、地震が起こる前の3割くらいかな。あと数年は、こんな状態が続いちゃうのかも。売れ残りを食べて頑張るしかないね。」 屋台で焼とうもろこしを売る男性は、こう語りました。
唯一残った手紙と22年前の歌
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翌28日(土)、綿陽市北川県の擂鼓鎮のテント村でユニセフの支援を受けて運営される仮設学校でアグネス大使を迎えたのは、地震でお母さんを亡くした9歳の女の子でした。
「地震が起きて、大丈夫だった? 怖くなかった?」
そう問いかけるアグネス大使に返されたのは、大使も同行したユニセフのスタッフも予想しなかった次のような言葉でした。
「私は大丈夫です。日本で地震に遭った方々は大丈夫でしたか?私たちを助けてくれている日本のみなさんに、本当に感謝しています。」
アグネス大使と共に、仮の住まいとなっているテントに戻った彼女を迎えたお父さんは、手帳の中から丁寧に畳んだ一枚の手紙を取り出しました。「この歌を良く一緒に歌いましたね」。お母さんが女の子に宛てて書いた唯一残ったこの手紙には、22年前、アグネス大使が北京のコンサートで披露した歌の題名が記されていました。
一緒にこの歌を口ずさむアグネス大使と少女。そして、その歌声に耳を傾けるお父さんや親戚の人たち、そして、視察に同行したNHKの取材班の人たちの目には、涙が溢れていました。
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支援が遅れる什●(=方へんにおおざと)市へ
1998年の就任以来、毎年、世界各地のユニセフの現場を訪れ、一般のメディアではあまり伝えられることのない世界の子どもたちの状況を日本に伝え、支援を訴えてこられたアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使。内戦のスーダン南部や戦争直後のイラク、カンボジア、東チモール、スーダン・ダルフール、レソト、昨年のインド・スラム地域などに続き、11回目の視察となる今回は、26日に四川省の州都成都に入り、地震の被害が大きかった都江堰市、綿陽市の安県(永安)や北川県(擂鼓鎮)を訪問しました。30日には、被災地の中でも支援が遅れている什●(=方へんにおおざと)市も訪問し、ユニセフが各地で実施する「子どもに優しい空間(Child Friendly Space)」を中軸とした「心のケア」支援活動や、仮設学校での教育支援活動などを視察する予定です。