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財団法人日本ユニセフ協会



パキスタン緊急募金 第14報
急がれる復興支援

【2009年8月13日 パキスタン発】

© UNICEF/NYHQ2009-1109/Ramoneda
パキスタン北西辺境州スワートのミンゴラ市。紛争中は閉店していた店や建物の前を歩く帰還してきた人々。

10人の子どもを持つタジ・メエナさんは、かつては有名な観光スポットであったパキスタン北西辺境州のスワートにある美しいマルグザル渓谷に位置する小さな村の出身です。他の数千人の村人たちとは異なり、武力紛争が始まった今年4月以降も、タジ・メエナさん一家は、村に留まりました。

タジ・メエナさんと夫は借地に暮らしていました。そのため、大家族で避難できるだけの財源も食糧も持ち合わせていなかったのです。2ヵ月以上続いた武力紛争。メエナさん一家も、非常に厳しい状況に立たされました。

「非常に厳しい経験をしました。何日も、ほうれん草を煮たものだけで生き延びました。」タジ・メエナさんは話します。「子どもたちもすっかりやせ細り、健康状態も悪化しました。食べものを手に入れることがとても難しかったのです。」

現在、タジ・メエナさんは一番下の娘たち、マルバちゃん(4歳)とシマちゃん(1歳6ヵ月)と一緒にミンゴラ中央病院に入院しています。マルバちゃんとシマちゃんは、急性の下痢性疾患と皮膚の感染症に患っています。

「病院が開設されて、子どもたちを連れてくることができて、とても嬉しかったです。子どもたちも、元気を取り戻しつつあります。」(タジ・メエナさん)

厳しい状況
© UNICEF Pakistan/2009/Grusovin
ミンゴラ中央病院を訪れた、生まれながらに知的・身体的障害を持つハンダンちゃん(3歳)と母親のジャミラさん。

タジ・メエナさん一家と同じように紛争地帯に留まって身動きが取れなくなった人々も、非常に厳しい状況にありました。ジャミラ・グル・シェルさんは、6人の子どもたちの母親です。ジャミラさんの子どものひとり、ハムダンちゃん(3歳)は、生まれながら知的・身体的障害を抱えています。

「当初、ラホールに一ヵ月ほど避難していました。しかし、ハムダンが重い病気にかかり、ラホールの猛暑に耐えられなかったので帰って来ざるを得ませんでした。」ジャミラさんはこう話します。

ジャミラさんの夫、グル・シェーさんは、紛争が始まる前、ミンゴラで商売をしていました。そのため、激しい紛争が続いていましたが、今年6月、家族と一緒にミンゴラに戻ることを決めました。ラホールでは家族を養っていくことができなかったのです。現在も、経済的に苦しい状態だと話します。

「今は、市場に行けば、食糧を買うことができるようになりました。でも食糧を買うお金がありません。今日、小麦粉がなくなってしまったので、子どもたちは朝食を食べずに学校に行きました。子どもたちに食べさせてやるものがないことが、私にも夫にも大きなストレスとなっています。どうやって生活を立て直せばいいのか分かりません。」ジャミラさんはこう話しました。

無料の外来診療

「スワートの状況は改善しています。特に女性と子どもたちは、保健ケア・サービスを利用できるようになりました。しかし、患者さんの数があまりにも多く、充分に対応できていません。」ミンゴラ中央病院の小児科部長のアリ・ジャン医師はこのように説明しました。

病院では、毎日、約1600人もの患者に、外来診療を無償で提供しています。

「患者さんの数は、帰還する人が増えるに連れて多くなっているようです。こうした人々は、(避難している間)病院へのアクセスがありませんでした。ですから、医療サービスへのニーズは、帰還する人々の数と同じくらい高まっています。2年間にわたって頻発してきた武力衝突は、特に女性と幼い子どもたちの健康と栄養状態に甚大な影響を与えました。」ノオル・アフリディ医師はこのように述べました。

急がれる復興支援

武力紛争の影響で、教育施設も大きな打撃を受け、スワートでも150の学校が破壊されました。学校での授業は8月1日に再開されましたが、ほとんどの学校では、屋外やテント、臨時避難所などを使用して授業を行っています。教育施設の復興支援は最優先課題の一つです。

スワートにも、少しずつ平和が戻ってきています。紛争中この地に留まった人々のみならず、避難先から戻ってきた人々にも、基礎的な社会サービスを一刻も早く提供しなければなりません。こうした地域で行われている復興支援活動のための資金が緊急に必要です。

ユニセフは、破壊された水供給システムの復旧、基礎保健サービスの提供、教育の再開、子どもの保護などの復興支援活動に必要な資金として、国際社会に総額5300万米ドルの支援を要請しています。