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エボラ出血熱緊急募金 第69報
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瞬く間に広がったエボラ出血熱は、ギニア、シエラレオネ、リベリアの3カ国を中心に、2万4,000人以上の感染者、1万人以上の死者を出しました(2015年3月17日時点)。子どもの教育の機会も大きく損なわれましたが、さまざまな安全対策が推進され、今年1月にギニア、2月にリベリアにて学校が再開し、シエラレオネでは4月中旬以降の再開が予定されています。こうした取り組みにユニセフはどのように関わってきたのでしょうか。ユニセフ西部・中部アフリカ地域事務所にてエボラ流行3カ国での教育再開事業にあたった日本人職員、青木佐代子さんによる現地報告会がユニセフハウスで開催されました。
© 日本ユニセフ協会 |
ドミニカ共和国のユニセフ事務所で副代表として勤務していた青木さんの元にエボラ感染国における教育支援活動への支援を要請するSOSのメールが入ったのは去年の10月。緊急援助の経験もあり、フランス語(ギニアでの公用語)での業務も可能な青木さんは要請を受け、翌11月にはユニセフ西部・中部アフリカ地域事務所のあるセネガルに降り立ち、2015年3月まで3カ国での教育支援活動に従事しました。
医療的な問題という側面が非常に強いエボラ出血熱の大流行ですが、教育分野にも大きな影響を与えています。7月初旬からの夏休みを経て、本来であれば9月頃には新学期が始まるはずの学校。しかし、その頃まさにエボラ出血熱の流行と社会のパニックはピークに達しており、社会的に学校を再開することができませんでした。その結果、ギニア、リベリア、シエラレオネの3カ国の全ての学校が休校になり、幼稚園から大学まで500万人の子どもたち(2万4,000校に相当)の教育の機会が長期にわたって損なわれました。その大部分が初等教育の子どもたちです。
なぜ、ここまでの規模で、子どもたちの教育の機会が損なわれたのでしょうか。「もともと脆弱だった教育システムが、エボラ出血熱の危機で更に脆弱になったため」と青木さんは述べます。実際、感染拡大以前の初等教育出席率は、ギニア58%、リベリア34%、シエラレオネ74%であり、この3カ国における教育のキャパシティが元々限定的であったことが統計的にも分かります。こうした以前からあった問題が、エボラ出血熱の大流行という危機に直面する中で改めて浮き彫りになったと青木さんは指摘します。
こうした中で、閉鎖中の学校を再開し、子どもたちにとっての日常をできる限り早く取り戻すという試みが始まりました。しかし、その道は一筋縄ではいかなかったと言います。例えば、非接触型の体温計を介してエボラが感染するという噂などを理由に親が子どもを学校に戻すことをためらうなど、学校再開の阻害要因も数多くあったからです。
しかし、ユニセフは「学校でエボラに感染する子どもを1人も出さない」をスローガンに学校でのエボラ感染予防の徹底した取り組みを進めます。その中心となったのが、「検温・手洗い・保健センターとの提携」の3つの柱です。
学校再開のための三本柱
© UNICEF |
© UNICEF/NYHQ2015-0062/La Rose |
非接触型の体温計を持つ男性と話す青木さん。 |
これに加え、並行して心のケアやコミュニティへの啓発活動を行いました。こうした要素を盛り込んだガイドラインをギニア、リベリア、シエラレオネの3カ国で作成し、各地の学校が安全に再開されるよう支援を行いました。
今回の西部アフリカを中心としたエボラの大流行および付随するさまざまな問題(3カ国同時での学校閉鎖も含む)は前例がないものでした。前例がないことにどうやって対応していくか、という支援の挑戦でもありました。青木さんは「前例がない中で、(上述の)教育ガイドラインを作り上げ、各国に方向性を示していくことは、組織として緊急・開発支援の経験値が高いユニセフだからこそできた対応だった」と強調します。
こうした取り組みも一助となり、今年の1月19日にギニア、2月16日にリベリアの学校が再開しました。学校再開から8週間後には90%近くの子どもたちが学校に戻ってきたと青木さんは述べます。また、4月中旬の再開の目処がたったシエラレオネでも3月下旬には高校が先駆けて再開しており、これから子どもたちにとっての日常が徐々に戻ってくることが待たれます。
ギニアの学校再開の初日の様子(青木さん撮影)
門付近に非接触型の体温計を持った校長先生。写真左手には手洗いのためのバケツがみえる。
© UNICEF/2015/Sayoko Aoki |
© UNICEF/NYHQ2015-0056/UNMEER Martine Perret |
ギニアで再開された学校の様子(入口付近に立つ青木さん) |
「学校再開に至る過程には、子ども、親、先生といった名もなき一人ひとりのたゆまぬ努力があったことを忘れてはなりません」と青木さんは述べます。こうした一人ひとりのエボラに立ち向かう力とコミュニティの力が原動力となり、学校再開が叶いました。ユニセフでは、例えば安全な埋葬についてのアプローチに代表されるように、ある考え方を押し付けるのはなく、その地域の人々が問題に向き合い、自分たちで考え出した答えに沿って、自らの行動を変えていく姿勢を重要視しています。終息まで、まだ明確な見通しはたっていません。ユニセフはこれからもこうした地域の人々やコミュニティの努力を支えていく取り組みを継続していきます。
© 日本ユニセフ協会 |
◆報告者プロフィール◆
青木佐代子(あおきさよこ)
東京都出身。ボストン大学教育修士号取得後NGOなどに勤務。2001年よりユニセフ・ペルー事務所に赴任。世界銀行、ユニセフ・ニューヨーク本部、バンダ・アチェ事務所、コンゴ民主共和国ゴマ事務所、ミャンマー事務所を経て、2011年1月、ユニセフ・ドミニカ共和国事務所に副代表として赴任。2014年11月〜2015年3月まで、エボラ流行国での教育支援のため、ユニセフ西・中央アフリカ地域事務所に出向。
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