|
|
HOME > 協会からのお知らせ2009年 |
日本・ユニセフパートナーシップ60周年記念式典開催【2009年10月7日 東京発】 ユニセフの粉ミルクや救援物資を積んだ船が、敗戦後の日本に初めて到着したのは、60年前の10月のことでした。 ユニセフからの救援物資は、弱い立場の子どもたちや女性を支援するために送られました。当時の日本では、下痢性疾患による脱水症状や呼吸器系の感染症など多くの予防可能な病気が原因で、子ども50人当たり3人の割合で5歳を迎える前に命を落としていました。 今週、東京で行なわれた60周年記念式典の出席者の中には、ユニセフからの最初の救援物資の恩恵を受けた方もいました。式典には高円宮妃殿下、福山哲郎外務副大臣、政府や人道支援機関関係者、青少年のリーダーたちをはじめ、ユニセフを支援する約300人が列席しました。 日本の重要な役割
ユニセフのアン・ベネマン事務局長は日本国民、日本政府そして日本ユニセフ協会に対し、世界の子どもたちへの惜しみない支援に感謝の意を表明しました。 また、日本がミレニアム開発目標の制定に果たした大きな役割についても言及し、日本が引き続きリーダーシップを発揮することを世界は期待していると述べました。 北海道で開催された2008年J8(ジュニア・エイト)サミットに参加し、同年のG8サミットの席上で世界のリーダーたちに子どもの宣言を行なった日本の高校生3人が、ベネマン事務局長に記念バナーを手渡しました。このバナーには世界の子どもとユニセフに向けた日本の子どもたちのメッセージ100余りが記されています。 5歳未満児の死亡率の減少 高円宮妃殿下は、子どもの商業的性的搾取に反対する世界的な活動にユニセフとともに活動した経験について述べられました。また、環境の持続可能性について懸念を表明し、平和と安定の推進に個人が参加することが重要だと強調されました。
福山外務副大臣は、5歳未満児の死亡率の減少に取り組むユニセフとパートナーの活動を改めて確認しました。5歳未満児の死亡率は1990年の1250万人から2008年には880万人に減少しています。また、ミレニアム開発目標、とりわけ環境と気候変動に関する目標の達成にはまだ課題が残されていると述べました。 アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使も式典に出席し、この10年間の現地視察での経験について話しました。 ユニセフ最大のドナーのひとつとして 1949年にユニセフから提供された脱脂粉乳で成長した子どもたちの多くは、日本の再建に重要な役割を果たしてきました。こうした経験をしてきた、日本ユニセフ議員連盟副会長の広中和歌子議員と山本和教授も式典に列席しました。 山本教授は、脱脂粉乳が学校給食で出されるようになったときに4年生の担任の教師がユニセフの活動について説明してくれたことをはっきり記憶していると話しました。この思い出は後に、彼がユニセフのために仕事をするきっかけにもなったと言います。山本教授は、元ユニセフ本部の財務局長としても活躍しました。 今日、日本はユニセフにとって世界最大のドナーのひとつです。2008年には日本政府から1億5330米ドル、また世界の36のユニセフ国内委員会のひとつ、日本ユニセフ協会からは1億5570万米ドルがユニセフに拠出されました。
|